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1111 他人軸で生きている
二重整形をしてよかったと思う場面は多々あるが、そのひとつに泣き腫らした顔でも目だけは二重を保っているということだ。これは大変おすすめできる( しなくてよい )。
12月を控え、今年も扶養を越える計算になってしまったため、2時間/日しか働けなくなった。12月は週休5日。
午前中は元気があれば家事をして、11時〜13時まで働き、午後はアニメを流しながらお昼を食べ、元気があれば家事をする。ピアノ弾きたい、衣替えしないとなあ、図書館に通うのもいいなあ、と頭の中だけは忙しい。去年の今頃は、師走に備えて師走並みに忙しく過ごすというクレイジーなことをしていた気がする。いやクレイジーすぎるだろ。今年はやめよう。
ここからは少し暗い話をするよ。
10年先の健康を考える夫。30年先に向けて投資をする夫。私は明日の楽しみさえ数えられないのに。むしろ後ろ向きのカウントダウンに片足突っ込んでいるのに。私たちの向いている方向はことごとく真逆だ。
決められた線から出てはいけない、そんな日常は自分の人生を生きているとは思えない。
妻、母親の役割を合理的に遂行する日々。突然『役割』から解放された休日、何をしたらいいのか分からなかった。『役割』という基準がないと何もわからなくなっている。自分は何をしたいとか何を食べたいとか、そんなものは全て無意識のうちに蓋をしているからだ。そんなものは優先順位の低いものだから。
どうしたら自分の心が動くのかわからない。大切に仕舞っておいたチョコパイを食べても、恋人が余命10年と宣告される映画を見てもなにも響かない。(恋人役が夫だったら、という発想すらなかった。たぶん置き換えたとしても…モゴモゴ)
どうしても他人軸で生きてしまう自分が、弱くて、頑張れなくて、一人ぼっちだと感じた。とても悲しくてさみしくてたくさん泣いた。これはほかの誰のものでもないあなたの人生だ、違和感を感じたら逃げていい。あなたの人生を生きなさいという言葉を見かけるたびに、そうなれない自分はダメだと思った。
自分の言葉で自分を酷く突き放した後、薬を飲むことにした。家族が帰宅するまでに平然を装わなければならないから。何事もなく役割に戻らなければならないから。
そして冒頭に至る。今日も泣き腫らした顔で仕事をしてきたけど誰にも気付かれなかったので、二重整形してよかったと再認識することになってしまった。