特別なことを書かなきゃ、なんて傲慢
こんばんは。haruです。
気がついたら、noteに力を注がなくなってから何ヶ月か経ってしまいました。
書きたい気持ちはあれど上手く言語化することが出来ずに
「書きたい」が
「書かなきゃ」になり
自分の中のハードルがどんどん上がっていきました。結果、1ヶ月に1度書ければ良い方かな、なんていうくらいの頻度へ低下している現状。
継続は力なり、とは本当によく言ったものです。
ただそうして文章からしばらく離れている間にも、コツコツ書き続けている人はいて。
久々に前回の記事を書いてからnoteを徘徊していたときに、私のZINE制作記事にすごく興味を持ってくれた方の記事がふと目に留まりました。
おそらく学生さん?の方。勉強もあって忙しいだろうに、記事は上がり続けていました。
サイトマップなんかもとても丁寧に作り込まれていて、正直おどろきと、少しの悔しさがありました。
私もこうして何かしら形に残したくて始めたはずなのになあ、と。
ただそうして「自分なんて…」という方向に考えるクセがあることも、色々なことを休んでいた期間に自己分析して分かった自分の傾向のひとつです。
この休みの期間中に得たことについて思い返すと、なんだか思い返すほど何も無いような気もするのですが、エラい量のことを得た気もしています。
今感じている悔しさも、自分の傾向が出ているなーと捉えてしまえば少し楽になるもので、実際今「私ってそういうクセあるしな」くらいに考えることが出来ています。
そして、自己嫌悪に陥って、何も手につかなくなるほど私のメンタルはたぶんもう容量不足ではない。
暇があるなら、私もまたやればいい。
何か少し、変化させてみればいい。
そんなこんなで、また本を読んだり映画を観たり、自分と向き合う時間を増やしてみたりし始めました。
「自分と向き合うことが如何に大切か」ということだけは、この1年半で学んだうちの大切な気付きの中の一つだったと思います。
毎日考えては、私はまだ未熟なんだなあと感じる毎日が痛くもありますが。
別に特別な記事じゃなくても。日記でも。
冒頭でも述べましたが、何か行動を起こすことへのハードルを自分で勝手に上げてしまっている私。
でも私が1年半、考えては行動して、辞めてはまた繰り返して得てきた経験が皮肉にも自分を冷静にさせる結果になりました。
どんなことでも書いてきたじゃないか。
なんか上手く言葉にできないことでも、その気持ちのまま上げ続けていたじゃないか。
今は、また動き出そうと頑張っている自分を鼓舞して、そして気付かせてくれたnote著者の学生さんに感謝して、また頑張ってみるだけでいいのでは。
自分に甘いなあと思う方もいらっしゃることでしょう。(ここまで一気に書いて、私自身「甘くね?」とか思ってるので…)
でも"真面目"で心を病むよりはるかに健康にはいいはず。
ここでは「真面目からの脱却」をもとに記事を書いていく方針だということを、私自身すっかり忘れていました。
ただ自分自身のために。
少しだけ、「新しい記事を待っている」と言ってくれる人たちのために。
のんびり続けていきたいなと思います。