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書くことで可視化出来ること
走り続けていると毎日同じことの繰り返しのような、既視感を感じますが、どうやらそうでもないようで。
"こうありたい"という感情は、言動や文体までをも変えます。
今日は、今週(今日は月曜なので既に先週ですが)の振り返り。
大泣きした平日
仕事に関することで泣いたことはありますか?
こう問われてYESと答える人は、この現代3人に1人はいるらしいです。
かく言う私はあまり、いや、想像も出来ないくらい遠い出来事だと思っておりました。
が、先々週からもう3回ほど泣いてます。
「え、そんなに泣く…?」と、理性的な自分がドン引きするくらいにはわんわんと。
主に仕事が上手く進まないことが原因です。
なんだかおかしい、なぜこうなった、を辿ると
最近社内で起こった機構改正による方針の変化が原因の大部分だなあと思います。もちろんそれ以外にもストレスなんてそこら中に散らばっているんですが。
原因は分かったものの、残念ながら自己解決出来る程度の話ではないことが大部分を占めているために、逃げ道が限られております。
よくよくこうして文章に書き起こしてみても、
理性的に考えても、
冷静なときというのは色々と割り切れるものです。
しかし感情と理性の乖離というのは度々発生いたします。
先週の平日はまさにその乖離に頭を抱えた一週間でした。
社会人になって、そして殊更ここ何年かで感じるようになりましたが、体調管理やメンタルケアも自己管理のうちの一つです。
自分の心や体力の余力、後のことを考えて
その逃げ道をもっと使うべきなのでしょうが、
切羽詰まっているときほど決断力が鈍ります。
後になって泣くほどつらいと思うなら、セーブするべき。
それは逃げることでもなければサボることでも無いはずです。
むしろその決断が出来ないことで「なんでこんな管理も出来ないんだろう」とネガティブ思考に陥ってしまった先週の平日。
もう少し自分の状態を俯瞰する時間が必要だと感じました。
書くことで可視化出来ること
色々もやもやしたこの一週間。
出てくる言葉は
「時間がない」
「疲れた」
「イライラする」
ネガティブな言葉ばかり。
すぐに発信したかったnoteの記事も下書きで眠っています。
もう私の中の旬も過ぎてしまって、文章なのに腐っているよう。
腐ったミカンの近くに置いてあるミカンから腐っていくように、脳みその腐食が伝染していく心地です。
悲しいな、と思った昨日の夜。
なんとなくこの気持ちを紙に書き出してみました。
本当になんとなく。
ボールペンを取っていざ書き出したその時間が、いつの間にか前項で必要だと感じた「自分の状態を俯瞰する時間」になりました。
本当は考えなきゃいけないこと、
向き合ったほうがいいこと、
たくさんありますよね。
でもそういうのって面倒くさい。
人間て忘れることで生きていける生命体だから、つらいことや嫌な記憶ってすぐ蓋をして忘れてしまおうとする傾向があります。
書き上げた紙を見て、
「今週こんなことがあったな」
「こんな気持ちだったな」
を改めて思い出しました。
正直、いいことのほうが少なかったですが、
自分のポジティブな感情や、逆にネガティブな感情を"冷静な自分に見せてあげること"こそ、自分の状態を俯瞰している状態。
変化を加えないことが最善なのか、
もう少しこうしてみよう、とトライしてみるのか。
それは人それぞれですが、"考える入り口"は案外広かったりします。
多分、思ったことを思ったときに書き残してあげる方が、後から読み返したときにもっとリアルな自分の心の声を聞けるんでしょうね。
ああ、日記を習慣付ける方法を誰か教えて。