塩と肌
塩で錆びた手摺りが砂浜の中で血のように赤みを帯びている。肉体の綻びはこれほど鈍くなく、また鮮やかでもない。
浜辺はまだ肌寒く、人の気配はない。遠くで兄弟と思しき二人が叫び合いながら走り回っていただけだ。小さな男の子がもう一人を追い掛け今にも転びそうになった。少し荒れた波もその細い足元を掬おうとしていた。
——昔、ここで溺れかけたな。あのときは兄貴に海中から引き上げられた。
私は海水による死の香り、鼻を突くような痛みを思い出し、最も身近な記憶を沿うように追った。
彼女が死ぬとき苦しんだのかどうかを、私は未だに知らないままだった。ただその死の印象はとにかく白いということだった。身体は冷たいというよりかは常温で、柔らかいというよりは硬質で、そのほとんどが水分である筈なのに水気がなく、そして何よりも色が落ちている。体内の血が全て酸化して重くなったみたいに見えた。そしてそれは身体の奥底に沈殿していた。
九十歳を超えていたのだ。それはまるで瘡蓋か、肌から落ちた皮膚を固めた物体に似ていて、死よりかはあるいは老化に近い現象なのかもしれない。きっと彼女はこの町が恋しくて、その海岸の白さに憧れて喉を乾かし、そこに辿り着いたのだろう。
「それにしても痩せた、本当に、痩せた。」と母は彼女の姿を見て呟いていた。
私は彼女に心配以外のなにも与えることがなかった。それなのに彼女はよく幼い私にお小遣いをくれようとした。
「こっちさきい、お小遣いやっから。」
がま口の財布を開きながらそう手招きするのだ。
私は、正直に言えば、それが嫌だった。誰にも言えなかったが、嫌で嫌でしょうがなかった。だからいつも首を横に振った。
「そんな遠慮はいいから。取っときい。ね。」
彼女は必ず訛りのある口調で拒む私を説得した。
そんなことを言われる所以はない。
そう毎回のように思って私は視線を逸らした。おそらく子供ながらに強情だったことだろう。彼女のお金は彼女のものであるという思念が常にあった。それでも彼女が無理矢理にでも手渡してこようとするのが理解できなかった。
「いらない。」という私の手を握りながら僅かばかりの硬貨を持たせた。大抵の場合その硬貨は潮で変色していた。
「んなこと言わんと、取っときい。」
「いらん。」
「取っときい。」彼女は何度も言った。受け取るまで何度もだった。
だから彼女が一度言い始めると、私はお金を受け取るしかなかった。人から物を受け取るのを拒むのはなぜこうも難しいのだと、とても苦慮した。きっと大人になった今でも、上手い返しは思い付かないのだろう。
私はそのお金を幾ら受け取り、何に使ったのか。どうせ下らないことに使ったに違いない。どうせ下らないことに使われるなら、もともとの持ち主が使う責任を負うべきだった。でも彼女は自分の孫にさえ、そういう不器用な方法でしか熱を伝えられない人だった。自分の本音を語ろうとせず、我慢ばかりして働き続け、休もうとしなかった。
「私はいいって。」というのが口癖だった。休んだらと提案されるとなぜだか機嫌を損ねた。
私はなぜか、決して休もうとしない彼女のことも、好きなんかではなかった。痛めた膝を擦りながら家事をしたり買い物に行ったり、年金が入ったときのお小遣いも私の小腹が空いたときに作る醤油味のお握りも、そんなことをする必要はないと思っていた。
なぜなのだろう。なにか心に引っ掛かりがあった。
私の不快感に反し、お金を手渡す彼女の掌は温かかった。私が手に収まった硬貨も熱を帯びていたのを覚えている。そしてお握りの味もなぜだか鮮明に覚えている。
浜辺に強い風が吹いた。それは春みたいに暖かい日和だった。
それは記憶の中でついこの間のことでしかないのに、彼女が死んでから早くも二年半が経とうとしている。この期間はまるで色褪せた日々の連続だった。何に悲しむ訳でも何かに怒る訳でもなく、ただ突き落とされたような、そんなものだった。
こんな私を死者が見たらどう思うのか。そんなことを想像してみると、私はきっと咎められて、何ら反論することは出来ないのだろう。それなのに私の周りは大きく変わっていて、人も環境もいろんなことが変わり果てていて、もう原形すら失くしていた。でもそれは私が茫然と生きているからに過ぎなかった。
そう言えば、震災から十年もせず、本当に何処も彼処も随分と変わったのだ。だからむしろ、遥か前から巣食う変遷のようなものが最近になって姿を現して、何もかもを違って見せているのかもしれない。
そう。それでも何かは相違していた。何かがずっとおかしかった。ただ今まで思い巡らせようとしなかっただけだった。
私が今住む街では日光を激しく反射して白く聳え立つ高層ビルが幾つも建ち、ビルで働く人を受け容れる高層マンションも彼方此方で建設途中で、それなのに祖母の町は日に日に蝕まれていくような、汚れと傷みが染み付いていくような、そういった状態がずっと長く続いて、耐久力を失くしていた。
きっと相当のお金が使われた。私の街のために使われたお金はどこから湧き上がっているのか。使われたお金はどうして私の街のために使われたのか。誰もがずっと厳しい厳しいと嘆いているこの国で、誰が都会のビル群を拡張することができたのか。それなのにどうして人はこれほど厳しいのだろうか。
私は街に暮らし、風景と人が変わっていくのを見て悟った。実感したのは本当に残念にもつい最近のことだった。分かり切ったことだったのに見ない振りをしていた。
だから蓋を開けたような気分だ。葬式のため訪れた祖母の町がその答えの一つだった。私の街と街の外とを比較すれば答えは直ぐに出る。被災地だということを忘れ去られたようなその場所は、大した手も施されていないように見えた。
——こんな状態だ。まだ、こんなだ。
明らかな差を、テレビなんかで眺めながら暮らし死んでいくのは、きっとなによりも寂しいことだっただろう。それらは同じ国の近い街の話なのだ。片方は華やかに栄えている。もう片方はその逆を行っている。まるで取り残されたように。まるで見えないみたいに。
祖父は若くして亡くなっていた。その死後、祖母の仕事は自営業しかなく、体力の低下と共に年々収入は乏しくなり、店仕舞いの後の年金も僅かばかりだった。だから周りの人が多く支えていた部分はあった。それでよかったはずだった。
確かに彼女の周りは疲れはする。でも誰しも疲れとは相容れないと分かっていた。分かっていないのは彼女の周りではなかった。
彼女は何のために節約を迫られていたのか。そして倹しい生活の中で孫たちに与えたお小遣いになにを思っていたのだろうか。私には考えても知ることができなかった。手掛かりはなかった。
私は彼女の表情を思い出す。その顔が嬉しそうだったことはないのだ。どちらかと言えばいつも申し訳なさそうにしていた。だからきっと彼女はなにも誇ってなどいなかった。少なくとも満足したことなど一度たりともなかった。それだけは知っていた。
「今大変だから、パートの人が辞めっちゃったんです。小さな事務所だから私一人で対応しなきゃならないんです。」
久しぶりに連絡をくれた元同僚は迷惑そうに私に言った。そして彼女が新しく担当するという企業と私に関わりがあることを告げた。休日だというのに作業をしているとのことだった。
私は本屋からの帰宅途中で、休憩場所の当てにしていた小さなの野外ベンチが改修工事のために座れず、付近を彷徨いながらその電話を受けていた。
「向こうの担当の方がお世話になったって。」
どうやら私の後任が迷惑をかけ続け、その会社は税務コンサルを彼女の転職先に鞍替えしたのだそうだ。それなのに私への不満は言っていないらしく、むしろ私だった頃はよかったと話しているという。
「やっぱり評判いいですね。」
私はそう褒められた。おそらく言葉通りではなかった。それはつまり彼女は不安だということだった。その元同僚の話は場合によっては助言が欲しいというものだったのだから。ただその律義に発揮される心配性が故に彼女は言っているだけだが、私は助言するほどの技量もなにもないと伝え、それでも一般的なことならと頷いた。
「まあ、少し前のことだから全部の事情は知らない。本当に分かる限りだけ。」
「ありがとうございます。本当に私一人なので心強いです。落ち着いたらまた一緒にご飯にでも行きましょうね。」
私は社交辞令の言葉を聞きながら、ついこの間街に出来たばかりのマンションを見上げた。此処だっていつ災害に見舞われるか分からない。ガラスで覆われた建物はバラバラに崩れそうなくらい脆く見えた。
頭の中に靄が掛かったような言葉が廻った。きっとこの街は近い時期に本当の姿を晒す。そのとき私たちはどうするのか。どう生きるのか。
なぜだか心までバラバラになりそうで、私は元同僚に頼られたことに嬉しいような悲しいような気持ちに襲われた。こんな気持ちを感じられる日々がいいと思った。でもそんな意味不明なことは言えなかった。そしてじゃあと別れを告げた。
何処を歩けばいいのか。まるで遊歩道がパッチワークみたいで、いつ糸が解れて穴が出来るのか。その陥没は深い死へと繋がっていて、落ちたら魂を抜かれてしまう。
そんな無意味な想像をしながら歩いた。街は店に入らない限り私を拒むように何処にも休憩所を用意していなかった。
私は、怖がっていたのか酷く喉が渇き、コンビニに立ち寄るか迷った。店の直前まで来て立ち寄るのを止めようと思った。看板を横切るときホームレスがゴミを漁っていた。どうやら食べ残しを探っているみたいで、私は立ち止まり彼にお金を渡すべきか考えた。流石に残飯を食べるくらいならと案じた。でも気軽に声を掛ける勇気は出なかった。特にゴミ箱を探っている最中は難しかった。
私はそのとき、祖母は不安だったのだとなんとなく思った。私にお小遣いを渡すことが安心だったのかもしれない。そして彼女もお金の使い方が下手だったのかもしれない。
——まるで隔世遺伝だ。
私はかつての習慣のまま、お金を使うのが下手だった。いやお金を使うことがストレスであり嫌いだった。そのせいかいつも手馴染んだ最小限の消費しかしていなかった。こうしてコンビニに行くのでさえ躊躇うことがよくあった。
そうこうしている内に、私とは別に彼を見ていた女性が声を掛け、なにかを手渡した。視界を遮った人影で良く見えなかったが、飲みものとサンドイッチのようだった。きっとそこで購入した昼食の一部を分けたのだろう。
私はその場を離れた。これ以上いる意味がないと思った。まるで役に立たなかった。
——もし人から受け取ったお金があったら、何をするだろう。
なぜか、そんなことを考えた。私はお金を責任ある方法で使えているのだろうか。ただ生活に追われて浪費しているだけのような気がする。そもそもさほど余裕も副収入もないのだ。こんなこと発想した経験がなかった。たったの一度もなかった。
梅の花の香り、手には汗が滲んでいた。風上にある喫茶店の庭に梅の木があるのを知っていた。その隣には空き地があり、秋になれば彼岸花が咲く。その空き地の向こうは大きな公園になっている。そこにある石畳の階段の両脇には桜が植えられている。
彼女が死んだのは、花が散った後だった。十月終わり、彼岸花も金木犀も散った後、紅葉が始まる前のことだった。私はちょうどランニングをしているときに、父からの電話で「おばあちゃんが死んだ」と言われた。携帯電話しか持っていなかった。手元には交通費さえもなかった。直ぐには帰れなかった。
まだ暑く、汗が滴り、ウェアに塩が付いていた。肌は何故だか汗を掻く前より潤っていた。きっと運動して血が廻り火照っていたのだ。それを細胞が集まるだけの物体であると私は捉えていたはずなのに。もっと乾いていると思っていたのに。
二年半。本当にたった二年半だった。私はずっと他人事だと思っていた。いやあるいはもう何十年も他人事だと思っていたのだ。生まれてからずっと他人事だったのだ。そしてずっと後のことだと思っていた。
大通りに面した証券会社のディスプレイが通行者にアピールするように赤く点滅していた。それと同時に赤信号に引っ掛かった。私は足を止めた。
私はもう若くない。そしてそんな歳に応じないほど他人事だとの認識でいた。まるで老いも意識しないほどに無関心だった。
「取っときい。」
私は手渡されたお金の有難みも考えない。そして誰かにお金を手渡すこともできない。そんな有態だった。
だから誰かを責めることなどできないのかもしれない。でもこのことは間違いがない。そのはずだ。
——お金を使うのにも責任がある。
人から貰ったお金があったら、私はきっと誰かに会いに行く。なんとなくそう思って祖母の町のことを想った。あの日の海岸のことを思い起こした。
白い光、あれは有名な灯台らしい。丘の上にあり遠く強い導きで、船に港の場所を告げる。私は誰にその光を見せたいだろう。誰とその光を見たいだろう。
港で水揚げされる水産物。地元の畑で収穫された野菜や米。祖母のお握りがしょうゆぶかしの味付けを参考にしているとお葬式で知ったことを、誰に告げたいのだろう。それに、秋刀魚の甘露煮、ポーポー焼きというのもあった、誰とそれらを食べたいのだろう。誰に会いたいだろう。
私には責任がある。だから私には自由がある。私は人に見せることの出来ない生活を送ることなどしたくない。私は私の責任を隠すように生きたくはない。
きっとこれからも、街は壊されていく。そして新しい建物が増えていきかつての姿を失っていく。
——貴方には責任があるのか。
私は消費されていく私たちのことに責任を持てないなら、此処はもっと感情のない場所になって行くのだろうと、そう思っていた。それなのに誰がそれを作っているのか。どうして作っているのか。
人は目の前で倒れて行っている。私よりそのことが見えている人は多いはずだった。厳しい生活を余儀なくされている人は多いはずだった。
隣の交差点付近から騒擾が聞こえた。クラクションと人の声が聞こえたが車が衝突した訳ではなさそうだった。誰かが誰かにぶつかりそうになっただけのようだった。
私は立ち止まり、来た道を振り向いて、ただそれを眺めていた。