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思い出収集家は思い出のために生きている
沢山の記憶をどうしようか。
これまでのものと、これからのもの。
何もせずに目をつぶっていると、気づけば夢でも見ているみたいに色々思い出すことがある。
あの人やこの人を思い出して、そのうちになぜか感動して「お前らのおかげで生きていけるよ」って泣きそうになる。
彼らとの思い出を大切にしていること、思い出の中の彼らから生きる気力をもらっていることを、僕は自分の涙に気付かされる。
これまでたくさん記憶してきて、
思い出については懐かしむだけが使い道だと思っていた。
あの頃は良かったなと思わせて、もう手に入らない、死んでしまったと実感させる。ノスタルジックにさせるだけのもの。
今と未来には必要ない、つまり、生きる上でどうでもいいものだと思っていた。
しかし考えてみれば、僕は生きる上で必要なものを全て既に持っていた。
僕の人生に残されていたのはどうでもいいものだけだった。
やるべきことは何も無し。終わりの鐘を待つ暇な時間だ。
早く終わらねえかな、と待ち続けるには長すぎる。まだ終わらないでくれと思える何かが欲しかった。
まだ生きたいと思わせてくれる何か。
その何かが、僕にとっては”思い出”らしい。
まるで次の冒険に出発するように、次の思い出が楽しみらしい。
こんなやつもいるなんて、人間はナゾである。
自身が持っている沢山の記憶。
これまでのものも、これからのものも、
僕はどうでもいい思い出のために使っていきたい。
そして棚に飾るように、記憶の中にしまって置きたい。
これを続けていたら思い出作りが上手くなるかもしれない
そもそも上手い下手なんてあるのでしょうか
何だかワクワクしてきました。
僕の思い出はこれなのです。
未来のために、楽しむためにあるのです。