第7章 マーブル 彼は大きな声で「ようこそ」と歓迎してくれた。 宙亀の首に跨りニコッと無邪気に笑っているように感じる。 感じる、というのも さながら影のような真っ黒な全身はよく見ると透けていて、表皮には書庫の壁と同じように数多の情報が川のように流れている。 九泉には意思と人格があり、時折こうしてその時 黒子に必要な情報が「人の形」となって現れる。 「糸でしょ?神秘の糸」 ソレが、さも困っているのを知っているよと言わんばかりに問いかける。 宙亀の甲羅を撫でていた黒
第6章 宙亀 そらがめ 九泉の店内では静かな午後が続いていた。 壁一面の格子状の棚にはありとあらゆる言語の夥しい数の本が、それぞれの枠の中で色とりどりの酒瓶と共に並んでいて見るものを圧倒する。 本の前に酒瓶が並んでおり奇妙といえば奇妙ではあるが、ここには黒子のこだわりがある。 一見するとなんの規則性もないように見えるが、並んでいる酒の原産国と棚の本はリンクしており、酒の度数が高くなるに応じて本の内容も高度になっていく。 つまりアードベックが並んでいればスコットランドと
第5章 葛藤の蕾早朝の清々しい風が耳とすれ違う音と共に小さな鈴の音が聞こえる。 その音は掴み所がなく不規則だった。 時折、始発電車が走る音に掻き消されたかと思えば 神社の鈴のようにガランガランと大きく鳴ってみせる事もあった。 掃除をしながらしばらく咥えたままだったタバコに火をつける。 2階の窓際に腰掛け何を見るわけでもなくフーッと煙を吐いた。 "魂を繋ぐ神秘の糸" 夕べの事は脳みその皺の一つにまでこびりつくように鮮明に覚えている。 しかしその一方でそれが何なの
第3章 緑雨の中に 暫くぶりの雨が奏でる音と、硯に墨を引く音とが小気味よく聞こえてくる。 ドン、っと一つ大きな音が鳴ったかと思えば、ガラガラガラっと雨戸が開く音がする。 手首の細いひょろっとした腕が茶碗と共に窓の外に飛び出してきた。 黒子は雨が降ると必ず水を集める。 雨水は天の機嫌を教えてくれる。 教えてくれるといっても、ただ雨水を溜めただけでは何も分からない。 溜めた雨水を硯に注ぎ、墨を刷る。 黒子は雨水で墨を刷る時、どこまでが雨水で、どこからが墨になるの
問う 魂とは肉体に宿るものか 精神に宿るものか はたまたそれは個人ではなく民族全体に宿るものか 国家に宿るものか 同時に複数の魂を宿すことは可能か 一つの魂に多面的な態度を見出すのか 答う 神秘、故、霊妙不思議の秘密なり。 第1章 よろずや九泉 鶯谷の裏路地に佇む古びた建物の一角に薄暗い灯りが揺らめいていた。 掲げられた看板には、「よろずや九泉(きゅうせん)」と書かれている。 この小さな店は、国家規模の祈祷や呪詛を対象とした国防、国内の妖怪退治や街中の心霊現