自分の形とプロフェッショナル、そしてこれから。
昔から、何かに抜きん出ることに憧れていた。
何かひとつのことに全精力を注ぐ、芸術家やクリエイター、職人、プロスポーツ選手などに憧れていた。僕の中では、こうした方々がプロフェッショナルであり、どこかで自分もそうありたいと感じていた。
でも、ならなかったし、そもそも、なれなかった。
僕の人としての「自分の形」が、様々なことに次々と興味を持つ多動タイプだからだ。
例えば、学生のころは研究者になることも、少しだけ(うん。本当にちょびっと)本気で考えたことがあった。研究対象も面白いと思った。でも、天気の良い日には、薄暗い研究室で実験するよりも、スポーツをしたり何か面白いことを探しに行くのを我慢できないのだから、お話にならない(笑)
そして、サラリーマンとして就職し、そこでも、技術系の仕事から、人と話す営業やサポートの仕事、はては人事まで幅広く担当することになる。
もちろん、とても充実もしていたのだけど、僕の中のプロフェッショナルへの憧れも、そして、自分には抜きん出たものが何もない。という思いも消えることはなかった。
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先日、TV番組の「初耳学」を見た。面白かった。落合陽一と林修の対談が秀逸だった。
その中で、落合陽一がこんな趣旨のことを言っていた。
「今は、プロフェッショナルでもアマチュアでも生きていける。昔はプロは専業でなきゃいけなかったが、今は二刀流、三刀流が可能になってて。
例えば、プロとして歌手は無理でも、歌手としてサラリーマンの給料の半分を、そして料理人として4分の3を稼げれば、月収はサラリーマンよりも多くなる。
得意なことがいくつかあったら、それをやってみればよくて。それだけでは食っていけなくても、組み合わせたら食えちゃった、みたいな。そういう人は増えていますよね。」
なるほどと思った。確かに、今ってそんな感じだし、実際それを実現してる人も多い。
これでいいじゃん!と素直に思った。
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おそらく、これはプロフェッショナルのロングテール化なのだと思う。とてもニッチで、そこまで高度なプロでなくても、仕事として満たせるニーズがたくさんあり、そこにリーチできるのが現代なんだ。
なんか難しい表現になったぞw
あるいは、プロフェッショナルのコモディティ化とも言えると思う。多くの人が、多くの分野で、低いコストで、兼業であってもプロとしての価値を提供できるのが現代なんだ。
どうどう?それっぽくないでしょうかw
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と、書きたい放題に書きたいことを書いた。とても満足だ^_^
そして、これからの僕がやることは、これしかない。
自分がちょっとでも面白いと思ったことを、次々とやっていく。
ちょっとでも面白いと思ったことをやれば、それを面白がってくれる人も必ずいる(と信じる)。そして、それは次のもっと面白いことにつながるはずだ。
これはポジティブで楽しそうに聞こえる。実際そうだろう。でも、これやるのは、そして続けていくのは、なかなか簡単なことではないとも思う。
これを続けることができたら、それ自体がプロフェッショナルだと思う。だから、これを続けて、僕は僕をプロフェッショナルとして、いつか認めてあげたいと思う。
ってことで、そんな感じでやっていきたいなーと思ってます。
オモシロ企画いろいろ考えてるので、一緒に遊びましょう!!
この記事を目にした、そこのあなた!まずは、スキやコメントから、僕と一緒に遊びましょう^_^