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生き延びた、その先で

お久しぶりです。

雨谷 葉、(あまがい よう)というものです。
初めましての方は、どうも、はじめまして。

さて、そうですね。何から書きますかね。

本当にお久しぶりな訳ですが、noteを盛んに書いていた時、私は高校3年生でした。
いつ、どう死んでやろうかということしか考えてなかったわけなのですよ。

noteは、生きてるうちに、遺書のようなもの、、、といいつつ自分が生きていた証を多くの人が見れるところにのこし、私が自殺したら、それを読んでくやんでもらわねばならねぇな!!!という思いだったかな…そんな気がします。

まあでも、実情はもっともっと酷な日々ばかりで。
必死で、必死に「生き延びる」をしていたはずですが、どうですかね、苦しくて、息が出来ないけどなんとか人間性を保つためにSNSをやっていたような気もします。

今の私はどうでしょうか。かれこれ3年ほど経ちましたかね。死にたくて死にたくて、「生きる」 ができずに「生き延びる」ことに必死だったあの日々。
それから3年が経って、「生き延びる」のその先にたどり着いたのかもしれません。

何が変わったのでしょうか。あの日から。死にたくて、憎悪に塗れたあの日々から、私は何が変わったのか。

今の私が考えるにそれは、
自分を受け入れ、ゆるし、噛み砕いて、そして受け入れてあげること。
そして、諦めること。
それでも進む道を考え、模索し、希望をどこかにもつこと。

これなんですかね。

きっと諦め、受け入れことがすごく難しく、
若ければ、若いほどきっとそれは辛くて。
耐えられない。
そうだと思います。


自分はバイトをしなければいけないのに、隣のあの子はバイトもせず、一人暮らしして、しかもたのしそうだな、、、。私にお弁当は無いのに、隣のあの子はいつもキラキラしたお弁当をもってるな。

こんなのあるあるですね。大人の皆さんは、
「あーあるある、そーいうのね、あるよな〜」
と思うかもしれない。けれど、思い出してください。
当時、すんなり受け入れられたか。

わたしはぜーんぜん、受け入れられなかった。
なんで?、なんなの?私はこんなに必死なのに、そんなに涼しい顔して、許せない。何も知らないくせに。
そう思った。あなたは?どうでしたか。

自分の事情を知って欲しい!と思うなら、相手にも相手の事情や人生があるのを受け入れなければいけない。
でも、そんなのわかってる!!と思っていても受けれいられない。それが若者だとおもう。私はそうでした。

受け入れるということは、理解することではない。
きっともっとその先の諦めとかそれのもっと先にいる。

死にたい。死ねない。
それは死にたくない?いや死にたい。でも死ねない。腕を傷だらけにしてもいきてるなら、あーそれは私は生きたいんだと。

私は、生きていたい。

それを受け入れることは難しいね、それでもいつかそれを受け入れることができるようになる自分を目指して。きっとこれがむずかしい。

1度死にたいとおもったなら、その思いにいたるまでに、どれだけの憎悪や絶望があったのか。
そして、この世界なんて、この世界にのほほんと生きてるやつなんて全員死ねと思った。

そう1度でも思った人が、再び、この世で生き延びようと思うこと。それは死にたいという思いのさらにその先にあることで、本当にむずかしい。
自分のその思いをうけいれることがどれだけ難しいか、きっと自殺しようと心から思った人にしかわからないかな。


でもね、大丈夫。
自殺しようとしたあなたが、180度違う顔をして、この世に生きたいと思っても、大丈夫だよ、いいんだ。
それを自分自身が受け入れること、それが一番の関門かもしれないけど、どうか受け入れてほしいよ。

その先に、あるから、つづくから
生き延びる そのさきに、生きる がつづくよ。
だからどうか、死ぬな。
這いつくばっても生きて。
どうしようもない憎悪は、雨谷 葉のLINEにでも吐き出して。1人にならないで。ね、

ではまたすぐに。

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