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線をたどる――生誕100年記念 白髪一雄展 「行為にこそ総てをかけて」(柴島彪)

メンバーによる展覧会や映画などのレビューを掲載する企画。第7回は柴島彪による、白髪一雄生誕100周年記念事業のレビューです。(編集部より)

トップ写真:白髪一雄《うすさま》、1999年、一部

白髪一雄にとって線とはなんだったのか。というのが、いくぶん回り道をしながらここで考えたいことである。

誰もが知る白髪の作品は、網膜なんて通り越して肉体に働きかける。それが私が彼の作品に惹かれ続ける理由なのかもしれない。幼い頃からずっと、コンクリートの階段に頭をぶつけることや、自転車で転んで頭を大型トラックに轢かれることをむやみに恐れていた。自分の体のなかに内臓があって、頭蓋骨のなかに脳みそがあって、強い力、重いもの、速い速度とぶつかれば簡単にくだけて、つぶれて、それが機能させている私の心や考えを真っ白に拭い去ってしまうという現実。そのことがまるで生きている楽しみの代償のように常に意識の片隅に潜んでいた。

白髪は祭りでだんじりに引き手の頭部が挟まって死ぬところを子供の頃に目撃し、その衝撃が後の制作にも影響を与えたという。生物の内臓に血を抜くことなく触れようとするような生々しさは、彼の代名詞となった足で描く絵にだけ表れているのではない。狩った猪の皮を何体分も用い、毛皮の上に固まる赤い油絵の具が頭を怪我したときに髪の根っこと一緒くたになってできる瘡蓋のように見えて、自分がそんな傷を子供の頃以来作っていないことを改めて確認したくなるような《猪狩 壱》だってそうだし、結局吉原治良に否定されて世に出ることがなかったという、生き物の内臓をホルマリンに漬けた作品にしてもそう。白髪がこの臓物への関心を突き詰めるとき、作品は具象に近づき、見世物小屋的な毒々しさに近づいていく。それは吉原治良が率いる具体の思想とはいくぶん異なるものだっただろう。白髪が見せるのは、「誰もみたことがないもの」(※1)とはちがって、誰もが実は知っている、心の、体の奥底に蠢いているおそろしくてかけがえのない臓腑なのだ。

白髪一雄のエスキースに基づき林葵衣が制作した《ECHO》

白髪が描くときに捕まるって滑る、天井の梁から吊るされたロープは首を縊る縄のようにも見える。これは単なる比喩かもしれないけれど、あるエスキースに残された構想は、白髪にとって画面の上空に命を奪うなにかが思われていたことを想像させる。それは、「ギロチンの如き機械」と説明された、葉書の上に鉄の塊を落として来場者に持ち帰らせるための装置だ。この構想をもとに今回、林葵衣によって制作された《ECHO》は、鉄の重さと落下の速度によって、ギロチンの刃が落ちるようにも、絞首台の床が開くようにも感じられた(※2)。これがもっと巨大な装置で、人が葉書の上に居たら当たり前に死ぬ。その類推で、首吊り縄にも見えるものにぶら下がって描かれる絵画を見直してみる。すると、支持体の上で死の道具によって体を支えながら描かれる絵は、生きた肉体そのものだと分かる。

とはいえ、フットペインティングが生まれるために、抽象画というおそらくあまり内臓的ではないムーヴメントとの出会いが必要であったことは広く確認されている。抽象画をはじめたころの作品は、指で絵の具を拭うように描かれたものや、キャンバス上の絵の具を削ぎ落としたものからなり、画面にオール・オーヴァーに色面が広がるが、全身を使った躍動的なアクションの萌芽は少し先になる。自らの最も重要な関心がある動向と出会うことで真に偉大な作品が生み出されるまでの道のり。それは単線的ではないにろ、理解しやすい道のりだ。

白髪一雄の写真作品

その一方で心底驚かされたのは、ドローイングや写真における、まるで今まで知らなかった白髪の側面だった。自分で自分を屠殺する動物といったダークなイラストレーション(『OBAKE NO KUNI』)が白髪らしいとはいえ、線によって構成されるコミカルな描写。それから集めたカメラで撮影された日常のスナップに混じって残されていたフォトグラムの数々。あるいは最晩年の、ひょっとしたら同時代の空気を受け取ったものかもしれない、シルクスクリーン。

とりわけ気になるのは線だ。作家が「店番絵画」と呼んだ初期の作品に現れるユーモラスな線は、後に延暦寺で得度したあとの仏教画にも再び現れる。五大明王を墨で描いた作品もまた、のびのびとした線がその柔らかな表情を生んでいた。フォトグラムの作品では、印画紙に接するように置かれた紐のようなものが、その部分の感光を妨げることによって真っ白な線となり、画面のいちばんこちらがわでうごめくように見える。伸びる線、動く線、といえば足をすべらせた軌跡なのかもしれないけれど、この二種類の軌道を同じ種類のものだと言い切るには抵抗を覚える。

白髪一雄にとって線とはなにか。それに答えるためには、彼の画業の始まりに遡ったほうがいいのかもしれない。戦中から戦後にかけて、芸大の日本画専攻に通った白髪は、江戸時代の浮絵に強い関心を抱くことになる。西洋の線遠近法を取り入れることで遠近感を強調する浮絵は、消失点へと向かうパースによってその効果を生じている。そうした作品を研究した若き白髪は、地元尼崎の風景を、道や電柱を使うことでいくらか遠近を強調して描いていた。

しかし、抽象画の運動との出会いを待つまでもなく、金山明をはじめとする当時きわめて先鋭的だったグループでの活動のなかで、習作めいた作品は作られなくなる。線遠近法に代表されるリアリズムから離れると、そこから構図のない絵画が広がっていき、一時期はキャンバスから離れたアクションを追求することになる。

しかし白髪はその傍らで、多数のカメラを持ち、日常のスナップのほかに、フォトグラムを数多く制作していた。それらは単に、彼の芸術活動の傍流であり、どちらかといえば遊びに属するものなのだろうか。白髪の写真に関心を抱いたという藤本由紀夫は、「アクションペインティングの奔放なイメージとは対照的な、緻密な白髪の本質的な一面が発見できるのではないかと思われる」と述べている(※2)。幻灯機のような装置を覗き込ませる《土蜘蛛》もまた、蓄光インクで引かれた線が暗闇のなかに浮かび上がる仕掛けで、写真との関係を感じさせる。

これらの線は、奥行きを作る遠近法の線とは異なり、画面の表面にとどまる線、いや、むしろ観者の方へと面的に迫ってくるような線だ。学生から画家へと踏み出したときに白髪が転換したのは、具象から抽象へ、あるいは静から動への変化だけではなかったのだろう。リアリズムを、あるいは構図を離れるときに白髪は線の質を変えたのである。そうしてはじめて、フットペインティングの足の軌跡が、線として見えてくるだろう。


※1 具体美術協会では、リーダーの吉原治良の「誰も見たことのないものを作れ」という言葉を指針に制作が行われた。
※2《ECHO》、及び後述の《土蜘蛛》、写真作品の複製は、関連展示である、「白髪一雄の好奇心 林葵衣+」(於ギャラリーアルカイック)に展示されていた。藤本由紀夫のコメントは、この会場で配布された小冊子に記されている。
※ 白髪富士子の作品は、皮膚を切り裂いたら魂があって、血なんか一滴もこぼさずに世界を知ってしまうようだ。白髪が描いた富士子の肖像を見ながら、二人の作品がこんなにも相補的であることに素朴な感動を覚えた。

参考文献
「白髪一雄 オーラル・ヒストリー」 インタヴュアー:加藤瑞穂、池上裕子
https://oralarthistory.org/archives/interviews/shiraga_kazuo_01/


展覧会情報

生誕100年記念 白髪一雄展 「行為にこそ総てをかけて」
於・尼崎市文化芸術センター
2024年7月27日(土)~ 9月23日(月)

白髪一雄の好奇心 林葵衣+
於・ギャラリーアルカイック(尼崎市文化芸術センター2F)
2024年8月31日(土)~9月23日(月)

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執筆者プロフィール

柴島彪 Aya Kunijima
元文学研究。2023年、懶いからペンネームを改める。悪郊外で消耗中。

散文と批評『5.17.32.93.203.204』

柴島彪(懶い)による「『ケイコ 目を澄ませて』考」などが掲載された 散文と批評『5.17.32.93.203.204』は以下からお求めいただけます。


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