注ぎ/滴る、とは別のしかたで——シモン・アンタイ「Folding」展(足利大輔)
シモン・アンタイ。フランスの画家。彼は1922年にハンガリーで生まれた。そして26歳でフランスに定住し、12年後に「プリアージュ Pliage」という自身の代名詞というべき技法を生み出すことになる。そのあいだふたつの重大な邂逅を迎える。ひとつはシュルレアリスムとの出会い。52年にアンドレ・ブルトンとの交流を始めたアンタイは、積極的にシュルレアリスム絵画を制作していく。たとえば53年の《Femelle-miroir II(女性の鏡)》では、中心に女性の裸体——後頭部は四角に切り抜かれ、獣の頭蓋骨が入れ込まれている——が描かれているが、その身体の曲線を反復するような不定形な形象が周囲を囲んでおり、狂気じみた欲望が画角に表れている[i]。だが55年にグループとの決別を宣言し、もうひとつの出会いを迎えることになる。ジャクソン・ポロックである。ポロックからの影響は、55年から57年のあいだに制作された諸作品からうかがえる。1960年以降、アンタイはプリアージュによる絵画を次々と発表し、82年にはヴェネツィア・ビエンナーレにフランス代表として出展するという輝かしいキャリアを送る。しかし1982年、表舞台から姿を消すことになる。
プリアージュ。それはキャンバスを折ったり縛ったりしたのち、全体を絵具で塗りつぶし、ふたたびそれを広げるといった絵画技法である。2023年にエスパス ルイ・ヴィトン大阪で開かれた「Folding」展では、タイトルであるFolding(折りたたみ)が示しているように、プリアージュによる9つの作品を扱われている。くしゃくしゃにした支持体の凹凸の全体を、余白を消すように単色(あるいは二色)で塗りつぶし、ジョット・ディ・ボンドーネの《荘厳の聖母》に描かれた黒いマントの衝撃を、キャンバスの襞で生々しくあらわした「MARIALE(聖母マリアのマント)」シリーズ(1960-62)。緑や黒などといったひとつの色を全面に拡散させることで「地」を模様として浮かび上がらせる「Étude(習作)」シリーズ(1969)。キャンバスに多数の青の四角形が規則的に配置される「Tabulas(タビュラ)」シリーズ(1975-80)などが展示されていた。
注目すべきは、本展においてポロックの影響が強く示唆されていることだ。ステートメントでは「抽象の持つ生命力を鮮やかに提示するジャクソン・ポロックの作品との出逢いは、アンタイが図像学的な定則に捉われない絵画表現について知るきっかけとなりました。[ii]」とあり、「Étude」シリーズのキャプションでも、それをオールオーヴァーと紐づけて語られている。とはいえプリアージュにおいてポロックの影響を見出すことは困難であろう。折りたたまれ展開する支持体の動きによって、芸術家の意識の外部で自動的に模様や図形を生成するという性質から、自動書記(オートマティズム)の手法を連想しうるだろう。では上述の諸作品からポロック的な構図を想起するのはどうだろうか。たしかに全体にわたって色彩が散らばっている「Étude」シリーズの構図はポロック的であるようにもみえるが、そこに拡散するような流動性は確認できない。
しかしアンタイはフランスのシュルレアリスムからアメリカの抽象表現主義へとつながる美術史の系譜にいる。もしブルトンに反旗を翻したのちに受けたポロックから衝撃を、独自のしかたで引き受けることがアンタイにとって重大な関心であったのであれば、それはいかにして達成されるのであろうか?
そこで注目したい一枚の絵画がある。《Sans Titre(無題)》である。本展において、この作品は異彩を放っていた。巨大なキャンバス上で、青・茶・オーカー・黄色などのアクリル絵具で描かれる抽象的で多様なかたちが散在する。それらのサイズは大きなものから細かなものまでさまざま。彩り豊かで多様なかたちは、不規則に拡散し、全体を覆い尽くしている。とりわけ目を引くのがアクリル絵具の垂れである。それらは不定形なかたちから脚を生やすように多方向に垂れており、ある地点で溜まっている。より細部を見てみると、キャンバスの中心には青・深緑・茶色のかたちが隣り合わせになっている箇所がある。その形状は、複雑に折り畳まれた上に塗られているため多種多様で、色彩が折れ目によって切れているためジオメトリックであるが、その切断線から複数の垂れが生え出ている。青の部分だと、下に細長い三角形のようなかたちになっているが、そこでのストロークは上から垂直方向に引かれているのに対し、垂れは横方向に走っている。あるいは茶色の部分では、垂れは上下左右に拡散している。
その様は、他の展示作品とは異質でありながら、それらのなかで最もポロック的であるように感じる。一方で、このような拡散する絵具の垂れは、他の三つのシリーズと比べても特異なものである。「Tabulas」シリーズは、折りたたむ際に「各マスの交点に結び目」を作り、それらが白のグリッドを生み出すという「パディング」という手法で制作されているが、結び目に沿って放射状に絵具がながれている。あるいは《Étude,Meun》では、黒を背景にキャンバスの白地が不規則な図形となって、竹藪のように全面に散在しているため、《Sans Titre》ほどの垂れは見受けられない。「MARIALE」シリーズにいたっては谷折りによる空白部分が絵具で塗られているため、垂れの痕跡を確認することはできない。他方で《Sans Titre》の垂れは、ポロックによる1947年以降の絵画を想起させる。たとえば1950年の作品《インディアン・レッドの地の壁画》では、赤褐色に塗られたキャンバスの全面に、流動性のある白・黒・黄などの絵具やアルミニウム塗料などが、錯綜的にほとばしっている。液状の絵具をキャンバスに滴らせ、流し込むポーリング/ドリッピングによって、ポロックの動きがそこにダイレクトに反映されつつ、そのリズムが画面全体を均質的に覆っていくオールオーヴァー。アンタイの《Sans Titre》においても、やはり複数の色の絵具が複数の方向に垂れているのであって、したがってこの作品を鑑賞したときにポロックを連想せずにはいられない。
けれども注意しなければならない。ポロックの絵画において絵具は垂れているわけではないことに。ポロックの筆からしたたる絵具が向かう先は、絵画を描くためのイーゼルではなく、タバコの吸い殻やほこりが散乱している床に水平に置かれたキャンバスだ。それゆえ絵具が垂れることはない。ロザリンド・E・クラウスが指摘しているように、そのようなポロックのドリッピングは、「芸術家のアトリエのイーゼル、ブルジョワのアパートの壁、もしくは美術館の高級文化的な理想といったもの」がもつ垂直性に対する「水平的なものの抵抗」と考えられる[iii]。したがってポロックは絵画において垂れが生じることを避けているのだ。クラウスは次のように述べる。「1947年と1950年の間に作られたポロック作品に決して起こらなかったのは、アーシル・ゴーキーからウィレム・デ・クーニングやロバート・マザウェルにいたる他の抽象表現主義の画家に非常に特徴的だった〔絵の具の〕「垂れ落ち」だろう——垂直に垂れ落ちているということは、絵画の元の場所がイーゼルや壁といった直立物だったことを示しているのだ。」[iv]
ポロックが忌避した垂直的な絵具の垂れは、アンタイが彼から影響を受け制作したであろう1955年から57年あたりの作品においても顕著にあらわれている。たとえば58年にアンタイが描いた《Saint François - Xavier aux Indes(インドの聖フランシスコ・ザビエル)》では、重々しい黒のストロークがキャンバス全体を覆うように渦巻いている。その構図はポロックのオールオーヴァーそのものである。だが、それらから下方向へと向かう絵具の垂れがいたるところで見受けられる。それはポロックが描いた水平的なほとばしりとは方向を異にしている。これはアンタイにとって重大な問題であったであろう。なぜなら先に述べたように彼は60年以降プリアージュによる絵画を制作していくが、その際キャンバスを床に置いて絵具を塗っているからだ。そこでの一連の所作は水平性という点においてポロックの問題意識と共鳴している。しかし、それによって描かれた画面はポロックの絵画とは異なるものであった。水平的なプリアージュのなかで、ポーリング/ドリッピングのような事態はいかにして可能なのか。そのような関心をアンタイは抱いていたのではないだろうか。
《Sans Titre》に戻ろう。そこでの垂れとポロックのポーリング/ドリッピングは決定的に異なっている。にもかかわらずアンタイのこの作品は、ポロックの絵画のように見えてしまう。それはアンタイがこの作品で垂れの水平性を獲得しているためである。どういうことか。先に見た通り《Sans Titre》の中心部では、上から下へのストロークに反するように横方向に絵具が垂れていた。そもそも「垂れが拡散する」といったありようは奇妙である。垂れが垂直性をもつというのは、絵具が重力によって上から下へ落ちるからであり、それが多方向にほとばしる事態は非現実的である。だがアンタイはそれをやっている。ゆえに拡散する垂れは反-ポロック的でありながら、同時に垂直性に抵抗するという意味でポロック的なのだ。では《Sans Titre》における絵具の垂れを、ポロックとは別のしかたでの、プリアージュによるポーリング/ドリッピングとして解釈することは何を意味するのだろうか?
この作品をもうすこし詳しく見ていこう。複雑にキャンバスを折りたたみ、水分を多く含ませた複数色の絵具を上から塗り広げる。支持体の運動により絵具が多方向に垂れていく。先述した青・深緑・茶色のかたちは、ぴったりと隣り合わせに連なっている。3つの図形をよく見ると、茶の垂れの上から深緑の絵具を塗り、その後に青を塗っていることがわかる。つまりプリアージュが複数回にわたって行われており、その際に別の絵具で彩色しているのだ。《Sans Titre》は〈プリアージュ→彩色〉の1セットを機械的に反復することで構成される。
複数回のプリアージュによって錯綜する絵具の垂れを生み出すこと。ポロックは床に敷いたキャンバスに向かって絵具を滴らした。対してアンタイは《Sans Titre》において、キャンバスそれ自体の運動が絵具を多方向に垂らすのである。ここでポロックの絵画が「アクション・ペインティング」と呼ばれていたことを思い出したい。美術批評家の沢山遼は、ローゼンバーグの「アクション」概念にミニマルな反復的動作を導入したポスト・モダンダンスを接続し、ドリップ絵画に見られるリズミカルな線の隣接を、ポロックのロボット的な動きのあらわれとして分析している[v]。そこにはポロックの機械的なダンスが反映されている。他方《Sans Titre》では、もはやその垂れを生み出す主体はキャンバスであり、人間どころか生命ですらない。アンタイは規則的にプリアージュをしているに過ぎない。《Sans Titre》の垂れにアクション概念をつなげるとしたら、そこで上演されるのはキャンバスが自動的に生成した非生物の生のほとばしりなのである。
アンタイは表舞台から姿を消した。しかし絵画を描くことをやめたわけではなかった。《Sans Titre》は引退後の1984年に制作されていたからだ。つまりアンタイは当時のアートシーンから自由となったのにもかかわらず、プリアージュに取り組み続けていたのだ。そして98年にふたたび舞い戻るのだ。それからいくつかのプリアージュによる新作が発表されるが、中でも興味深い作品がある。それはジャン=リュック・ナンシーの依頼によって制作され、ジャック・デリダのナンシー論『触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる』の挿絵に扱われたものだ。不規則に折られた支持体の上からテクストを何重にも書き連ね、広げる。その様はデリダが取り組んだエクリチュールの問題とも共鳴するかのようである。それ以降もナンシーとの交流は続き、2000〜08年までなされた二人の往復書簡も出版される(未邦訳)。そこでは美術と哲学の交流がなされていたのだ。もし引退期間が、そのような多様な活躍の準備期間であり、これまでの折り畳みによる作品を超えうる契機を掴む時間であったのであれば、その萌芽は《Sans Titre》において見出すことができるだろう。
[i] シモン・アンタイのアーカイヴは以下のウェブサイトで閲覧可能。https://simonhantai.org/fr/oeuvres/periodes/0/ses-oeuvres 最終アクセス 2024年10月21日。
[ii] https://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/osaka/past/hantai/detail 最終アクセス 2024年10月21日。
[iii] イヴ=アラン・ボワ、ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム——無形なものの事典』、加冶屋健司、近藤學、高桑和巳訳、月曜社、2011年、107-111頁。
[iv] 前掲書、111頁。
[v] 沢山遼『絵画の力学』、書肆侃侃房、2020年、26〜31頁。
展覧会情報
執筆者プロフィール
散文と批評『5.17.32.93.203.204』
足利大輔による「DJ行為試論」などが掲載された 散文と批評『5.17.32.93.203.204』は以下からお求めいただけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?