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気分が分かった

 尾崎翠という作家がいる。作家として活動した期間が短く、二十代半ばから三十代前半にかけていくつか作品を発表したのち七十四才で亡くなるまでほぼ沈黙を貫いていた。亡くなる二十年程前から花田清輝などにより再発見され、現在まで再評価が進んでいる。
 代表作は『第七官界彷徨』。あらすじを説明するのはすごくむずかしい。筋という筋が見当たらない。簡単に言ってしまえば、語り手(語り手ではあるが主人公と言うのには少し抵抗がある)が二人の兄と一人の従兄の住む家に炊事係として彼等と同居していた期間のこと、そこで起こった大したことのない事件と恋を書いている。
 冒頭を引用する。

 よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。
 この家庭では、北むきの女中部屋の住者であった私をもこめて、家族一同がそれぞれに勉強家で、みんな人生の一隅に何かの貢献をしたいありさまに見えた。私の眼には、みんなの勉強がそれぞれ有意義にみえたのである。私はすべてのものごとをそんな風に考えがちな年ごろであった。

「変な家庭」とあるように、兄たちと従兄はすこぶる変である。長兄の一助は病院につとめているがその病院というのが「分裂心理というのをもった変態患者だけを入院させる病院」で、一助含む医者たちは「それ等の患者を単一心理に還すのを使命としている」。次兄の二助は学生で、二十日大根の研究や「蘇の恋愛」についての卒業論文を書いている。部屋の中でこやしをどっさり煮る。そして従兄の三五郎は音楽学校を目指す浪人生で、部屋のピアノをかき鳴らしてはコミックオペラを歌っている。

 ところで最近二年ぶりにTwitterのアカウントの鍵を開け、人をフォローした。
 タイムラインに自分でない人のつぶやきが流れる。スクロールしてたまに「いいね」をする。それでふと、この『第七官界彷徨』のことを思い出し、読んで知っていただけだったこの冒頭の文章が、その気分が分かった。
 『第七官界彷徨』にえがかれた変な家庭が、タイムラインに重なる。フォローしている人たちがみんなそれぞれ勝手なことを一人で言ったりやったりしている。語り手の言う「勉強家」で、「人生の一隅に何かの貢献をしたいありさまに見え」る人たち。私の年ごろのせいかはわからない(私は語られる語り手の年齢よりおそらく年上だろう)が、同じように私の眼にもそれらの人たちのやっていることは「それぞれ有意義」にみえる。
 漫画を描いてる人がいる。描いた漫画を本にして売っていると知って、買って、読んだ。私は漫画というものをほとんど読まないので、内容や絵については何も言うことがない。よくわからない。ただ読み終わって、すごくいいと思った。「すごくいいと思った」?どこかで聞いて知っていることばだと思った。そうだ、ゆらゆら帝国の「バンドをやってる友達」という曲だ。
 歌詞の引用。

友達がいる 夕べステージで
君は歌ってた まるでスターのように
恋人の歌 バンドがやってた
僕はその歌 すごくいいと思った
初めてギターに触れるような
本当に恋をしてるような
今すぐ何かやれるような
そんな気分さ

 こんな気分になった。曲を聞いて知っていただけだった気分が、分かった。これは本人にもリプライで言ったけれど伝わったかはわからない。励まされた、勇気づけられ、自分も何か行動してみようと前向きな気持ちにさせられた、そういうものでは全くない。その漫画からはそんな押し付けがましいものは何も伝わってこなかった。何かを伝えようとしているという感じもあまりなかった。ただ描いた、一人で。それをたまたま読んだ私がなんとなく、そんな気分になっただけのことである。
 そこにロマンがあったのだ。いいな、と思える、ロマンがあった。また何度も読みたい。新しいものがかけたらそれも是非読みたい。

 『第七官界彷徨』に戻る。先程の引用の続き。

私はひどく赤いちぢれ毛をもった一人の痩せた娘にすぎなくて、その家庭での表むきの使命はといえば、私が北むきの女中部屋の住者であったとおり、私はこの家庭の炊事係であったけれど、しかし私は人知れず次のような勉強の目的を抱いていた。私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。そして部厚なノオトが一冊たまった時には、ああ、そのときには、細かい字でいっぱい詩の詰まったこのノオトを書留小包につくり、誰かいちばん第七官の発達した先生のところに郵便で送ろう。

それでタイトルの『第七官界彷徨』となるわけである。個人的にこんなに惹かれる小説のタイトルは他にないと思っている。
 別に家庭のみんなが勉強していて、それに触発されてとか、励まされてとか、そういうわけではないだろう。だけれどそこはかとないあこがれを家庭のみんなに感じて、それで私もなにかひとつやってやりましょうという気分になったのだろう。稀薄でロマンチックなそんな気分。
 Twitterを眺めていたらなんだかそんな気分になる。そしてタイムラインに自分のつぶやきも、みんなに混じって流れていくことを少し誇りに思う。私もひとつ、やってみたいことがある。この人生の一隅に、何かの貢献をしたい。やってやりましょうと思う。

※見出し画像は浜野佐知監督の映画「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」のワンシーン。映画もとても良かった。

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