ウェザー・リポートを最近は聴いている 風が吹き続けて いつもここにいるよ 何かいいことがあったはずさ/誰かがいつもそばにいたはずさ これだけの言葉がどうしてこんなに力を持つのかわからなかった、でもこれはいわば 未来を思い出すという離れ業のようなそれでいてありふれた気分を、いや生活の態度、姿勢みたいなものを歌っているから いつもここにいる 私はここにいる 風が吹き続けて、まわりの景色や時間をどんどん変わらせていってしまう その風は過去から吹いてくる、過去を向いている私は向かい
誰にも理解されないみたいな痛々しい意識はけっして持つまいが、立派に家庭を持ちどっしりと立って喋る家族の集まりには1時間もいられない すべてむなしい、わかってるよそんなこと、それでもきれいごとを並べておはじきするような人がいないかしら?
結局一人でうずくまってるときがもっとも魂が広がってゆくことを確認した
今週は会話に向かず、誰と話していても噛み合わない感じがついてまわり、沈黙が怖く、視線がさまよい、みずからの言動に吐き気がする 2021年みたいな毛玉とにおいがついたセーターを着ているからかもしれない 芥川の闇中問答を筆写している
台風クラブ聴きながら保坂和志の文章読んでたらじっとしていられなくなって肘や膝を折り曲げたり伸ばしたり顎を上げたりひいたり靴を脱いだり履いたり袖をめくったり戻したりした
何か書けたらいいだろうなとは思うけれど 自分の年齢を考えたとき若より低という文字がうかぶ 落語をやる友だちや折り紙をつくる先輩や音楽をやってる友だちを学祭で眺めた みんな何かをやってるな 急に寒くなってしまって、気分が佳境に入っている
9月ってだめ、常に涙をためてる感じの目で遠くをにらむ人になってしまう
ライブでチャンスを歌うとき最後の歌詞を変えるので、「とってもふつうで変わってるから好きさ」がいちばん好き
その人の感じていることを理解や了解はできなくとも、その人がそう感じているということを理解することはできる、知ることはできる、了解することはできる その理解を失わなければ理解し合えない者同士が手を繋ぐことができると信じていますと教職のレポートに記して提出
ぼんやりするために色々頑張っているような。うつろに微笑むために動いているような。 4月からずっと連絡を取り合い頻繁に会っている子がいるけど、好きだと思ったことがない。でも一緒にいる訳は友だちだからの一点で、それだけで別に一生付き合っていけると思っている。父親は私のことを好きではないが、子どもだからというその一点で自分の働いて稼いだお金を私のために使い、守り育ててくれている。 この一点、「関係」のこの堅固さはなんなんだろう。 好きな人以外を好きになれないことに気づき、がっは
2ヶ月返信よこさぬ人よ昨日はチャンスだった 明るい人たちと会っていたと聞いた、私がオリオン座星雲が見えるか聞きたいなと思ってた間に 悪いうわさだ 毎日、怖い、恥ずかしいと思うことばかりになってきて、体内年齢が29歳だったし ヘモグロビンの値は低いし 部屋でうずくまってたら誰もいないのに電気ついてると思われて消された 朝冷蔵庫開けて誕生日の残骸だと思いながらよそよそしいケーキを食べた もっと家庭的なのでいいのに 相模大野駅を歩いていて大丈夫ですかと脳内で尋ねられたからも
体調はどうですか あまり苦しみませんでしたか まだあまり疲れていないあなたが疲れているいつもとあまり変わらないことをみつけて笑いたい 自分を助けられないとき人を助けるといいこと ロシア語の先生と女の子の睦言やキスを見ていると世界の脇役になった気がしてすっとすること(でもしっかり上にチクったこと) 1つの選択をすることを決断したが、それを話しているとき自分の言葉に力があったこと (変わりやすい気分のためにそれは薄れて) 何かが決定的に間違っているのではないか 絶対に疑えな
神奈川県立近代美術館 葉山館でマン・レイをみた。「贈り物」と題されたアイロンに鋲が付けられたオブジェと、「障碍物」と題された古びた茶色いトランク(蓋が開いてハンガーがある)がよかった。何故だか安心した。 墓碑に刻まれた「unconcerned but not indifferent」という言葉も、思い出してだんだんよくなってきた。「無頓着に、けれど無関心ではなく」。 海を久しぶりに見た。 砂浜の上にいる人間のことは嫌いではない。 犬が近づくと怖がってしまうのをやめたい。波が
私は子が親に向けるような初歩的な愛情を精一杯大人っぽくやることを生業としているので、いつまでも「子」だろう 「性」を持てない/なれないだろう だのに「性」 に憧れ好奇心と願望がつよい そういうの、別れたあと走り出せば消えるだろうか
煮干しみたいな恋は無数にやっており、それ一つ一つにもちゃんと意味や価値があるけれど、煮干しを合わせてもクジラにはならない クジラは最初からクジラで、クジラみたいな恋には煮干しは絶対勝てないです 優劣とかではなく、スケールの問題 恋というのは生態系ですよ
うまく話したい、(でも話せない)という人に会う前は頭の中で何十行かの台本を書く 別れてから次に会う瞬間まで私は脚本家であり、会って喋っている間は役者である それもアドリブとNG集にだけ沢山採用され本編には全然出てこれない哀しき役者 本編なんて存在するのか? 台本を書いているうちに、これは壮大な前振りで、結局私は寂しいとか愛しているとか、好きな食べ物はなんだとか、体調に気をつけてほしいとか、気に入らないよ怒ってるよとか、そういうこと言いたいんだと気づく 言いたいことストレー