夏休みも学校に行かせて

うまく話したい、(でも話せない)という人に会う前は頭の中で何十行かの台本を書く 別れてから次に会う瞬間まで私は脚本家であり、会って喋っている間は役者である それもアドリブとNG集にだけ沢山採用され本編には全然出てこれない哀しき役者 本編なんて存在するのか?

台本を書いているうちに、これは壮大な前振りで、結局私は寂しいとか愛しているとか、好きな食べ物はなんだとか、体調に気をつけてほしいとか、気に入らないよ怒ってるよとか、そういうこと言いたいんだと気づく

言いたいことストレートに伝えられない かと言ってオブラートに包んで伝えられるわけでもない 察してもらえるようなわかりやすい気の利いた台詞が書けない、言えない いつも全然関係なさそうなお喋りをして、それだけだ 「つまり言いたかったのは、」っていう時間、いつもない 

だけどなんかいいと思ってる 言えなくても伝わらなくても、あなたに寂しいために腹立たしいために元気でいてほしいために自分のこと考える、書く、「つまりね、」って思いながらドタバタ台詞回しているのが、そのサイクルが、回し車のハムスターのようで、なんということもなく我愛しという気もちになる



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