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まさに地獄といって過言ではない

 雲仙地獄に行ってきた。そういえば、ここに来たのは十数年ぶりだったと、ぼんやり考えながら歩いた。

 今回もだけど、以前も仕事で訪れたのだった。

 今年は梅雨入りがとても早く、雨続きなのにこの日だけ晴れていた。車を停めて、墳気が勢いよくあがる中を歩く。
 体調のせいなのか、しばらくすると気分がわるくなってきた。あるいはここでたくさんの命が失われたからかもしれない。

 雲仙は殉教地としても有名で、毎年『雲仙殉教祭』がおこなわれている(2020、21年は中止)。殉教について知るたびにおもうこと。どうしてそんなに残酷な行為ができるのだろう。

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 戦争捕虜であったり、このような責め苦であったり、犯罪、動物虐待、それからなかなか表に出てこない(そのせいで世間には知られていない)虐待についての何かを見聞きするたびに、私の背筋はつめたくなる。どの歴史にあってもそういうことが数え切れないくらいあったのだろうけれど。

 暴力。

 私はあらゆる暴力に対して、すごく反応してしまうみたいだ。
 嫌悪感を抱くひとというのは私にもいるし、受け入れられない種類のひとも大勢いる。でも、そのひとだってある日突然そこに現れたわけじゃなく、親は当然のこと、子供だっている場合もある。それをごくわずかでも感じた瞬間、私のなかの憎しみみたいな感情が収まってしまうことが多い。

 ずいぶん昔、仲良しの友だち(TRとする)とアルバイトをしていた。お歳暮みたいな、ある種のイベント的な短期アルバイトにあちこち派遣されていくシステムのもので、ある時はスーパーマーケットの寿司売り場に行った。そこには数人の社員(たぶん)おじさんと、パート(たぶん)おばさんがいて、そのパートおばさんの中に2つか3つのグループが見受けられた(それははっきりとしたものじゃなくて、見ていてなんとなく感じられる女性特有のアレだ)。
 私とTRは、寿司の作り方と各種パックへの詰め方をひと通り教わって、すぐに作業にかかった。若かったし、単純なものなので、すぐに覚えて周りを見渡す余裕ができた。パートおばさんの最年長グループは、どうみても他のパートおばさん(おねえさんかも)から煙たがられていたし、嫌われていたみたいだった。それを見た私とTRの頭に浮かんだのは『私たちのおかーさんも職場であんな風に嫌われていたら悲しいね(そうだったらどうしよう)』だった。アルバイトが終ってからの帰り道、ふたりでそんなことを話した。

 身内が嫌われるのってつらい。嫌がらせを受けたり、いじめられていたり、それを誰にも言えずに苦しんでいるのだってすごくつらい。自分の身に起きるのだって耐えられないくらいつらいんだけど、身内や親しい人たちがそういう目に遭っていたり、私の場合こうやって想像するだけですごく怯えてしまう。

 だから、えーっとずいぶん話が飛んでしまったけれど、雲仙で殉教した人たちの話。雲仙だけじゃなく、西坂でも浦上でも五島でも大村でも、あらゆるところで迫害を受けた、にわかには信じられない数の人々の話が伝わっていて、それを知るたびに私は「それってどういう精神だろう」と深く考え込んでしまうことになる。あるいは、私のなかにもそういう残酷さがあるんだろうか。家族や親せきの誰かの中に、そういうものを持ち合わせた人がいるかもしれないんだろうか。

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 殉教や迫害の歴史(主に長崎において)を知るたびに、そんなことばかり考えて胸が痛む。こういったことをどんなふうに伝えていくのかも、大切なことなんだろうとおもう。殉教祭などをおこなうことで、祈りを捧げたり、おもいを馳せたり、何が起こったのかを知っておく大切さ。教育などにも貢献できるのではないかとおもう。あんなに悲惨で、残酷で、恐ろしくつらいことがあった歴史がかがやくのはそういう未来があってこそではないだろうか、と、子どももいないくせに考えている。

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にゃーん!といってすり寄ってきたにゃんこ。かわいかった。(君たちこの匂いはだいじょうぶなのかね?)

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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