幼いシェルドンとわたし
このところ身の回りにちょっとした騒動があった。自身にも関係のあることだから、気分的に落ち着かない日々ではあるけれど、事が起こったときというのはしばらくしてみないと事態の中心はみえてこない。私はじっと待った。
波立った水面が静まるのを、あるいは霧がすこしずつ晴れていくのを、私は待った。最近ようやくあたりの様子がわかってきた。ものごとの輪郭が少しずつシャープになってきた。
世の中にはうつくしくないものがある。そういうところがだんだんとはっきりと感じられてきた。あまり気分のいいものではない。
かんたんに言ってしまうと、足の引っ張り合いとか、裏かき合戦みたいなものの応酬を目にしていて、これがどれも実に醜い。
帰りの電車の中で、ふと父や母の姿が浮かんだ。昼間に父に会ったからかもしれない。
noteに何度か書いているように、うちの両親はむかし喫茶店をやっていた。私はその店にチビのころから入り浸り、その小さな店の中で色んな人間の、色んな姿をじっと眺めてきた。
愛想もなく、わりと無口であったけれど、そのぶん(?)周囲の様子はよく観察した。
店で見られる人間模様にはいろいろの側面があるのだけれど、そのなかでゴシップに関するようなものに対し、うちの両親の態度はわりと一貫していた。他人のことに不用意に関わったり、口を出したりはしない人たちだった。
客商売だし、そういう態度をとくべつだと感じたりはしなかった。
そういうところを思いだした。
両親とも、とくに父などは人間が優れているというわけではない。どころか、いくつかのことについてだらしがなかったり、人に迷惑をかけるという部分については、これまでの人生で私自身も腹を立てたり呆れたりすることなど数えきれないくらいあった。
しかし、両親ともに、誰かを欺いたり、わが利益のためにずるい行動をとるなどというのは見たことがない。
そんな両親の姿があたまに浮かんで、すくわれたような気もちになったり、一方では手放しで尊敬などしていない彼らの影響を、知らずに受けてその態度に倣っているようなところを自分のなかに発見したのが、何か腹立たしいような感覚にもなる(人間って複雑なのである)。
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最近AmazonPrimeVideoで『ヤング・シェルドン(字幕版)』を見つけて少しずつ視聴している。『ヤング・シェルドン』は、アメリカCBSドラマ『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』のスピンオフ・ドラマである。
カリフォルニア工科大学の物理学博士、シェルドン・クーパー(IQ187)の子ども時代のエピソードを、1話20分程度ずつのコメディに仕立ててある。
きょう観た回では、シェルドン(10歳)が両親の確定申告(彼の大好物)に臨んだ。シェルドンは不明な小切手に気がついた。
それはシェルドンの父が妻に内緒にしておきたい小切手だったため、父はシェルドンに口止めをした。秘密を抱えることに耐えられなくなったシェルドンは、ある日家に居たくなくて友人の家に泊まりに行き、そこで得た解決策(正直に話す)を帰りの車のなかで父に伝えた。
あせった父は思いとどまるようにシェルドンを促すが、そこでシェルドンがひとこと言う。
「僕は知性面ではともかく、パパを手本にしてきたんだ」
シェルドンの父は正直者であったのだ。シェルドンはその姿を見て育ってきた。
このことばに、私も、「人生面ではともかく、・・・」というところでいっしょだな、などとおもった。
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人間、正直だからいいってものでもないし、自分が正しい道だけを選んで歩んできたというつもりもない。
シェルドンのピュアなところになごんだ、というそれだけです。
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今日の「発掘」:冷凍庫にミートソースがあったな、とおもって温めたら、カレーでした。
トップ画像は先日母と行ったカフェのホット・チョコレート。