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ド・ロ神父の悪魔祓いー島田喜蔵神父の述懐ー

 先日の記事でド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)の悪魔祓いのことを書いた。ド・ロ神父のこのエピソードは、教会発行の冊子、外海そとめ町誌、他いくつかの文献とも私がみたものでは、ほとんど同じ内容のことが書いてあった。

 記事を書いたあと、その場に居合わせて、のちに司祭になった島田喜蔵神父の伝記をみつけた。もしかしたらド・ロ神父のエピソードがあるかもしれない、とおもって開いてみると、書いてあった。内容が他のものと少し違っているのは、伝記が書かれた時期がいちばん新しいからかもしれない。この伝記は島田神父がなくなる2ヶ月ほど前からその3日前のあいだ、本人からの口述を核として書かれている。記憶や口述にあいまいなところもあるかもしれない。そうしたことを頭にいれながらその述懐を読んだ。

 他の文献の内容といくつか違いがあった。患いをした娘のことを知ったのは、司祭叙階前の島田氏たちが樫山周辺のかくれキリシタン世帯を訪ねたことがきっかけとなっている。娘の様子をみて、島田氏たちがド・ロ神父を頼ってこの件を伝えると、ド・ロ神父は以前から悪魔憑きの実態をみたいとおもっていたといって、はしゃいだそうである。

 翌日ド・ロ神父たちは樫山にむかって出津の浜を出発するが、船を出した時間や浜に着いたところを言い当てたあたりは大きく違わない。

 家に入ったド・ロ神父は、娘を横にする位置を指示し、他の信徒とともに娘を囲んで部屋に座った。ド・ロ神父は聖水をふりかけて信徒たちにロザリオの祈りを唱えるようにいい、自分はラテン語で祈りを唱えた。すると娘から黒い猫のような獣が現れ、島田氏とド・ロ神父の前を通って奥のほうへ消えた。ド・ロ神父の前を通るとき、気味の悪い力でもってド・ロ神父の座っている場所を震わせたという。しばらくして黒い獣が同じ道筋を戻ってきたときも同じようにド・ロ神父の席を震わせた。

 祈りが終ると、ド・ロ神父は島田氏たちにむかって「イエズス、マリア、ヨゼフ、我らのために祈り給え」と娘に唱えさせるように命じた。それで島田氏がまず「イエズス」からはじめ、順にそれを唱えさせるが、娘はなかなか口に出すことができず、頬をひきつらせて苦しそうにする。周りが励まし、どのくらい時間を要したかはわからないが最後のひとこと(給え)をしぼりだしたところで、娘の様子が一変する。まったくの平静で、全快していた。

 この伝記に出てくる「黒い猫のような獣」という表現は他にみないものだった。行ったり来たりしたあたりも書かれていない。ド・ロ神父の伝記にも同じ内容の記録があると注意書きがあるけれど、書籍情報は載っていない。
 ド・ロ神父は快復した娘に出津しつの修練院に入るよう勧めたとあるけれど、後日譚などここにはないから悪魔祓いのその後のこともわからない。

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 きのう、用事があったので出津を訪ねた。そうだと思いだして、いつもお世話になっている信徒のTKさんにこのことを聞いてみた。TKさんは、「ド・ロ神父は祓魔師ふつましの資格をもっとった」といった。祓魔師になるには専門の訓練があって、それを受けた司祭しかできんともいった。ド・ロ神父が祓魔師だったことを誰かに聞いたか何かに書いてあるのか、他のパリ外国宣教会の司祭で持っている人はいなかったか、など訊いてみたけれど、はっきりした回答はなかった。TKさんは82歳になるから色んなことに詳しいけれど、記憶がうすれた部分も多いみたいである。

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 TKさんとかき氷を食べながら(おごってくれた)あれこれ話したあと、少し写真を撮ろうとおもった。いつも、まだそこからは撮ったことがない場所を、ここというときに通りすぎてしまっていた。
 まだ日没には時間があって暑かったけど、いい時間帯でもあった。

旧出津救助院と出津教会
シスターが戸締りをしている
出津橋
バラスターには十字架


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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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