一本木山のことから日本神話とワニの話題
仕事に関することで、長崎市内の巡礼地について改めてリサーチしてみようと、とりあえず手元にあった資料を眺めていた。本原という地区に一本木山という地があって、そのそばの十字架山にはずいぶん前に行ったのだけど、一本木山ってなんだっけ、とおもった。それは現在カトリック本原教会の建つ敷地となっている場所だった。
十字架山というのは、1881(明治14)年に当時の浦上教会主任のプトー神父と、浦上崩れによる流配から戻った信徒たちが購入し築造した丘で、絵踏みしたことなどの罪を償うことや信仰の表明ができることへの感謝といった意味を持った場所らしい。ここをゴルゴダの丘に重ねた、というので、以前訪ねたときはキリストに敬意を表してサンダル履きで・・・というのは嘘で、夏だったし考えなしにチノパンにサンダルという格好のままふらりと丘に上ったら、大いに蚊に喰われてしまい、大変なおもいをしたのだった。
丘の上には大きな十字架や、道行が並んでいた。
一本木山についての説明文を読んでいると、まず江戸時代の初めに筑後から移り住んだ三池立花家の子孫の地とあり、1865年大浦天主堂での信徒発見ののち、まだ高札撤去には至らず信仰を公にはできなかった信徒たちが、深山であった一本木山に集まり、大浦から金比羅山を超えて密かに訪れるフランス人司祭を迎えていた、とあった。地理に疎い私だけれど、そのルートがぱっと頭にイメージでき、そうか、と納得した。
金比羅山というと、行ってみたいという話題が出ていた場所だけれど未訪問である。大浦地区からこの山を越えたということは、諏訪神社のあたりや立山地区を経てということだろうか。そうすると途中には金刀比羅神社や金比羅公園がある。金比羅というのはクンピーラ、インドにおける鰐を神格化した水神と言われている。また、金比羅(金刀比羅、琴平)は大物主神をお祀りしているなどともいわれていて、こちらは蛇か。
金比羅山の件から、鰐をおもった。鰐というので豊玉姫が連想されたのだった。
豊玉姫が身ごもって、山幸彦(ホオリノミコト)は産屋を建てるのだけれど、間に合わず豊玉姫が産気づいてしまった。「見てはなりません」と言われたのに豊玉姫が出産するところを(こういう話ではお決まりとして)山幸彦は覗き見てしまい、すると豊玉姫は八尋鰐の姿で出産していた。
豊玉姫は出産する姿を見られたからにはここにはいられませんと、海中のお宮に帰ってしまう。残された子は、産屋の窟にはりつけられた豊玉姫のお乳(お乳岩)のおかげで大きくなったという。
生まれた子は産屋の屋根を葺き終っていなかったことから、鸕鶿草葺不合尊と名付けられた。鵜戸神宮はこの産屋のあとと言われている。
八尋鰐については、いくつか説があったよなとおもい、Wikipediaを見てみた。てっとり早いとおもったからだ。そうしたら、代表的なサメ説、ワニ説の項からもうボリュームがすごかった。目を通すのも大変だから、拾い読みみたいな感じでいくつかを読んだんだけれど、途中で笑えてきてしまう。
たくさんの主張がずらりと並んでいることから、それらをいっぺんに目にすることで時間的なものが並列に感じられる。それもあって、すごく権威のある大人たちが、それぞれの専門的な観点から「サメだ!」「いや、ワニだ!」と言い合ってるみたいに見えて、そういうのが平和だなというか、なんというか、そんなふうにおもってしまったのだ。それぞれの根拠もおもしろいし、ある時点でサメ説を唱えていた人たちがごそっとその主張をやめてしまった、とかちょっと気になる記載があったりするのがまた興味を誘ったりする。
司馬遼太郎氏が「匍匐、つまり腹這うのだから鰐だ」としているのを、サメ説のある国文学者が「それは出産の様子の常套表現だ」とし、さらにそれに対して他のある研究者が「出産経験者への取材の結果、出産の様子の常套表現という説には疑問だ」としてあるなど、こういうのはちょっとにこっとしてしまう。出産経験者への取材、である(まさか出産経験のある鰐に取材したわけじゃないよね)。
神話はおはなしなのだから、たくさんの説があっていい。興味を持ったものや、ひきつけられる説を一つひとつあたっていくのもひとつのたのしみだろう。
いまはそっちに時間を使っている気分ではないので始めに戻って、金比羅山の位置を見ていたら、西のほうに穴弘法寺があるのに気づいた。ここには行ったことはないけれど、たしかけっこう有名な霊場で、穴の中に弘法大師(空海)がいるんではなかったか。空海といえば金星で、金星というと金刀比羅神社には明治にフランスの天文学者が金比羅山で金星観測をおこなった記念碑があったりする。まあ、どうだっていいですね。
十字架山あたりもゆっくり巡りたいし、金比羅山は見晴らしもいいようなのでやはり一度訪ねてみたい。
一本木山のことから、あっちへこっちへと散らかってしまった。トップ画像は鵜戸神宮。
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手元資料のひとつは、NPO法人長崎巡礼センターが出している『ながさき巡礼 長崎市内巡礼マップ』で、片面に写真と説明文の入った案内と、もう片面はその場所を示す地図が描かれている、蛇腹折りの大型パンフレットだ。
それともうひとつ記事を書くのに『ザビエルと歩く ながさき巡礼』という本を開いた。この本は、上記の巡礼センターと長崎文献社の編集・著作となっている。すごくしっかりとした内容を持っていて、地図なんかもわりかし見やすくできている。2008年の発行で、それ以降の発行がなかったような記憶がある。いい本だとおもうんだけれど。
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