喫茶店百景-学生時代のアルバイト-
昨年末のある日、父からのメッセージに数日後の誘いのメッセージが書いてあった。むかし、店でアルバイトをしていた女の子が帰郷するという連絡があって、父とその娘(わたし)とに会いたい、ということらしい。何年か前の同じような誘いは都合がつかなくて断ったことを思い出して、いいよと答えておいた。
当日、会場はいま父の焙煎機を置かせてもらっている店の系列のカフェバーで、わたしにとってははじめての場所だった。扉をあけて父といっしょに店に入っていくと、スタッフの数名から「マスター! お久しぶりです!」「お元気そうですね!」などと声があがった。このnoteで何度か(何度も)書いているけれど、父はわりとしょうもない人物なので、娘としてはいろいろとおもうところがある。が、父の、喫茶店の主人としての面に触れてきた経験から、こうした他者のリアクションは珍しいものではないことも承知している。
その店のスタッフの人たちは、父の様子を気遣いつつ、場所のいい席に案内してくれた。しばらくして待ち合わせの相手が到着して、再会のあいさつを交わす。彼女は、旦那さん同伴である。
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その彼女(ルミちゃん、仮名)が父の喫茶店でアルバイトをしていたのは、彼女が大学生のころのことで、わたしはそのころ高校生だった。そのころはもう、わが家は家族関係を解消していたから、子ども時代に多くの時間をすごしたその店への訪問回数はずいぶん減っていて、だからそうひんぱんにルミちゃんと顔を合わせたということでもない。まあ、顔見知り程度、というところが適当だとおもう。
それからここ10年ほどの間にときどき顔を合わせたり、父を通じて様子を聞いたところから、ずいぶんと父を慕ってくれているようで、娘としては恐縮するところがたくさんある。結婚後は旦那さんまで同様の態度で接してくれていて、さらに恐縮する。
再会の日、ルミちゃん夫妻は父の元気そうな様子をうれしがってくれ、それぞれの近況を愉快そうに話す時間が続いた。その時間ずっと、ふたりは父のことを「師匠」(旦那さん)「マスター」(ルミちゃん)などと呼び、いまはすっかりただの老人となった父を、親しみを込めて扱ってくれていた。店のスタッフも、年末の飲み会シーズンで店が混んでいるなか、しきりに気がけてくれている。わたしはその様子を、ちびちびとジンジャーエールを飲みながら眺め、ひたすら(もうしわけないなあ)などとおもっていた。なんせ、わたしにとってはしょうもない父なのだ。
あるいは、学生時代のアルバイトというのは印象に残る経験となりやすいのだろうか。先日は、父の学生時代のエピソードを聞く機会があった。父は久留米の「那珈乃」という店でアルバイトをしていた。そのころの那珈乃の床にはピーナッツの殻がちらばっていたという。客やスタッフの動作とともにガサガサと鳴るピーナッツの殻は店の風景の一部となっていた。年に一度(だったかな)の掃除のときには、ピーナッツの殻のなかから小銭が出てくることがあって、それに味をしめた父は率先して「マスター、掃除をしておきましょう」といって小銭探しをしたという(せこい)。
そんな愉しいアルバイトを経験した父は、地元に戻ってからもその職に就き、やがて自分で店を持った。
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いい具合に時間が経ったところでルミちゃん夫妻とわかれ、父を送って帰宅した。父はしょうもない人間だけれども(しつこい)、こういうことがあるたびに不思議におもい、ありがたいなァとか、嫌われるよりいいか、とか、ヤツはしあわせだなァとか、いろいろ考える。そしてそんなことを言いつつも、定期的にコーヒー豆をもらいに会いに行くのである。