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ペルソナ

 帰りの電車から降りるとき、目の端っこになにか、普段見かけないようなものが映ったな、という違和感をおぼえた(一瞬のことです)。降り口に進みながら、顔をその方向にくるりと向けると、ふわふわした袖とかレッグウォーマーとかをミニスカートに合わせた、若い女の子の2人組だった。

 頭には動物の耳っぽいのがついて、メイクもちょっと変わったアニメ的な装飾があった。めずらしいようにも思いつつ、まあ若い子だし、ちょっとぼーっとしていたこともあって、今日がハロウィーンだとかそういうことは浮かばなかった(田舎だしね)。

 それからてくてく帰宅の道を歩いていて、アパートが見えてきたくらいのところで、今度はカラフルな全身タイツにかぶりものの4人組の男の子が歩いてきた。このときもまだ、すぐにはそれと気がつかなくて、その一団とすれ違う瞬間に「あ」とおもった。さっきの女の子たちもこれだったのか(なんせ、田舎だしね)。

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 ちょうど(?)昨夜、調べもののプロセスで出合った映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』をつい観はじめてしまったところなんだけれど、この映画は禁酒時代のアメリカ、ネイティブアメリカンのオセージ族たちの身に起きた、連続殺人事件を取り扱ったもの。映画のことはまた別に記事にしたいとおもっているんだけれど、観ていてふと、「演じる人たち」のことをおもったんですね。俳優の人たちというのは、自分とは違う人物になるのだというのをふいに、認識したというか。

 時代や、人種や、年齢や、そういうものが全く違う世界というものを、演じて、見せる。普段の自分のキャラクターとかそういうのを、ぜんぶ、どこかわきにおいて、違う存在になる。

 このところちょっと、コスプレというか、あるコスチュームに注目することがあって(とくに名称を伏せる)、ちょこちょこと衣装だとか、ネット上で見られる範囲のそれを着用している人たちの画像とかを見ることが多くなった。多くなった、というか、なんかどんどん見てしまうんですよね。

 一つのコスチュームにもいろいろバリエーションがあって、それは作りだとか、小物のディテールだとか、カラーリングとか、素材とか・・・。そういうのを気にしだすと、とまらなくなってどんどん探して見てしまう。

 わたしはハロウィーンでも他のどんなイベントでも、かぶりものやコスプレとかそういうのはしたことがないし、したいとおもったこともなかったのだけれど、このところあるコスチュームに注目して、映画のキャラクターになりきる俳優について考え、仮装をした人びとを見かけ、とが重なって、そこになにか、人間にとってちょっと説明しがたい魅惑的なものがあるんだ、ということをおもった。

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 わたしに、その、あるコスチュームについて話題に出した人がいて、それでここのところずぶずぶと深入り(?)しているところなんだけど、そういう、その人自身(この場合わたし)が思いもしなかったようなことを差し出す人というのは、おそろしいような、しかしだからこそ創造的なのか(とてもクリエイティブな人である)とおもったり。説明しがたいなにかについて、自分自身の心境の移っていくのと合わせて注目している、10月の終りです。

▽映画情報


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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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