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指先まで暗闇が染みて

 ここ数日はやらなければならないことが次々と押し寄せて、もういよいよ口から泡でも吹くのかとおもった。何事もほどほどがいい。ぶくぶくぶく。

 週のはじめ、五島列島福江島に行った。下五島を訪問するのは5か月ぶりだった。いつもは、福江島から二次離島である久賀島ひさかじま奈留島なるしまに行くことが多く、そのため福江島をゆっくりまわったことがなかった。今回は、福江島にのみ行けばよかった。
 レンタカーを手配しておいて、業務上のいくつかの用事を済ませた残りの時間をつくっておいて、これも仕事といえば仕事の、写真撮影と土地探訪にあてた。
 さいわい、天候にも恵まれていて、そんななか教会堂などを撮るのは勉強になった。現在は、鍵を閉めている教会堂が多いため、1か所にそう時間もかからない(御堂に入るとまたそれなりに時間を過ごしてしまうのだ)。
 信号機も、走っている車両も少ない福江島内を、びゅんびゅんと飛ばすのは、それがたとえ走行距離12万kmを超えたミライースであってもなかなか気分のいいものである。

においたつ新茶の芽

 初日は本来の目的業務のためほとんど時間のとれなかったことと、その夜はある食事会に招かれてしまったことで、福江市内から岐宿町きしゅくちょうあたりを数か所巡るのみとなった。食事会はちょっと長引き(くたびれた)、ホテルに戻りお風呂を済ませていつもなら休むところだったけれど、鬼岳おにだけに行きたいという気もちがぬぐえなかった。

 鬼岳の標高は315m、ホテルから車で15分もあれば行ける場所にあって、ここには天文台などもあり、つまり星がきれいに見える場所なのであった。新月も近かったし、天候もなかなか良く、そんな日に福江市内に泊まることもそうないだろうというので、ぜひ星景写真にトライしてみたかった。
 結果からいえば、星景写真をうまく撮ることはできなかった。お見せするのは控えさせていただく(別にどうでもいいか)。深夜の鬼岳に到着すると、先客に女子ふたり組がいたけれどしばらくすると私ひとりになった。虫の声がする以外はしんとしてて、あたりは真っ暗というほんものの暗闇だった。私の全身も、完全に闇に染まっていたとおもう。

こんなかんじだった

 夜空にはいくつもの星々が、実に気前よく散らばっていた。写真はおもうように撮れなかったけれど、行ってよかったとおもった。

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 翌朝、身体に染み込んだ闇はすっかり落ちて、普段通りに戻っていた。この日も、とうぜんひとりでぶらぶらと巡るつもりでいたのだけれど、案内をしてくれるというので断りきれず(わりと奥ゆかしいもので)、そうしてもらった。案内をしてくれたのはなんと神父さまである。
 まず、朝いちばんはレンタカーを走らせひとりで玉之浦たまのうら町あたりを訪ねた。この日もいい天気で、朝といっても汗ばむほどだったけれど、港のそばの教会堂などをのんびり歩いたり写真を撮ったりするのはよかった。人もあまりいないし、好きに過ごした。

 井持浦いもちうら教会にはルルドがあって、これを作ったのはパリ外国宣教会のペリュー神父(PERU Albert Charles Arseneアルベール・シャルル・アルセーヌ・ペリュー)である。1872年にフランスから日本にやってきたペリュー神父は、横浜、新潟、神戸を経て1875年に長崎に移った。長崎で公教神学校の教授に任命され、ラテン語の文法書の作成などにあたる。その後、外海から黒島、平戸、馬渡島まだらじまを担当し、各地で教会堂を建設したり、「愛苦会」という現在も(名称を変えて)続く修道会を組織したり、その活動は広範囲に渡っている。1888年から下五島へ派遣され、ここでも尽力する。
 井持浦教会が建てられたのは1897年で、その2年後に島内から石を集めルルドを造り、フランスから聖母像を取り寄せている。ここが日本初のルルドとなった。

井持浦教会でもとめたポストカード

 井持浦教会で御堂を眺めていたら、軽トラックが入ってきた。信徒の方のようで、どこから見えたのかと訊かれた。長崎市からですとこたえると、教会堂が閉められていることを残念がられてしまった。こちらとしては、承知の上だったので、それを伝えると、ルルドもゆっくり見て行きなさいとにこっとしてくれた。ありがとうございます。
 ルルドの手前の広場に敷かれているのは御影石なのかピカピカで、そこに朝の光でできた色んな形の影がのびていて、それがきれいだったのが印象深い。ここの前にはバス停があって、停留所の名前は「ルルド前」である。そんな名前のバス停が、日本の端の五島列島にあるというのがなんだかふしぎなおもいがした。

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 待合せの時間に間に合うようにレンタカーを返却し、教会を訪ねた。こんどは神父さまの案内で、半泊はんどまりへ向った。途中、1566年に五島で最初の教会が建てられた場所と言われている栄林寺に立ち寄り、それからカクレキリシタンゆかりの地の岩屋観音を訪ねた。この場所には外海の神浦こうのうらからの移住者が住み着いていたとのことである。大きな岩の切れめの奥深くに観音像を祀ってあるというので、のぞきこむと確かに御像があった。同じく外海の次兵衛岩や枯松神社をおもった。案内板によるとこの地区のカクレキリシタン組織は平成6(1994)年に解散したとのことである。

岩屋観音

 時間をみながら半泊教会のある地区まで行った。教会堂のすぐ裏手でなにか工事をしており、訊いてみたところクラフトジンの蒸留所を作っているのだということだった。神父さまの言うのには、福江島内でももっと利便性(資材など運搬に関して)の高い場所を勧めたが、ここがいいというプロジェクトなのらしい。
 目の前には海の広がる静かな土地であった。
 残りの時間で間伏まぶしに立ち寄り、そのあとは神父さま御用達のイタリアンレストランに振られ、船の時間に間に合うように港周辺に戻った。予定外ではあったけれど、神父に案内をしてもらうのもそうあることでもなし、いい機会だった。人というのはわからない、神父をやるというのもおそらく色々とあるのだと感じた。

 今回の旅の訪問先を、すべては書ききれなかったけれどあまり書きすぎてもいけない。訪問できていない場所もたくさんあるし、また機会があったらいいとおもっている。

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↑前回の五島訪問など。

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