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ついきのうまで、民俗学に関する本を読んでいて、いろいろのことを考えた。ひとつに、日本人の、輪廻的、円環的な人生観というのにふと思い出したことがある。 うちの母親は色んな意味で宗教的な思想や思慮深さなどがないひとなんだけれど、たびたび私にむかってこんなことをいった。 ——つかさはわたしのばあちゃんの生まれ変わり。 つまり私にとってはひいばあちゃんである。誕生日が同じなんだそうで、きょうだいのなかで私だけひいばあちゃんに抱かせられなかったのを残念がりつつ、こういうこと
『ユングの生涯(河合隼雄著)』という本を読んでいることをちょっと前に書いたんだけれど、それを読み終って、読みかけだった『人生は廻る輪のように(エリザベス・キューブラー=ロス著)』にまた戻った。この本を読むのは2度目なのだけれど、常に新鮮な気もちで生きている私には(つまり内容を忘れていたということ)また新たに感ずるところがある。この2冊を続けて読みたくなった理由は、『ユングの生涯』のはじめに、彼が生まれ育ったスイスという国の土壌についての章があり、ロスもスイスの生まれというの
開封したてのチョコレートを、ぱきぱきとひとくちの大きさに割って、それを置いた皿に鼻を近づける。近づけるのは香りを嗅ぐためで、香りを嗅ぐのはテイスティングの工程の一つだからだ。すううっと吸い込んでその香りに集中しながら、ふとおもった。 こうやってあるもの(この場合チョコレート)に接近して五感を集中させる行為は、その対象に興味があるからである。チョコレートのテイスティングをするのは、どんな香りがして、それを私がどう感じて、口に入れたらどんな味わいや風味をキャッチできるか、そう
私は神話に興味があるのだけれど、そのことについて。 ある人との会話から「どうして神話が好き(興味がある)なのか」ということが気になってきた。はて、私は神話のどういうところに惹かれているんだっけ。 いつものことながらコレというこたえもなく、だらだらと書いていくことになるとおもうのだけれど、よければお付き合いください。 国生みや天孫降臨の地として有名な宮崎に暮らしたのは20年ほど前になる。その頃はほとんどといっていいほど神話のことなど何も知らなかった。その時に出会った
私は夢をみることが少なくて、というか憶えていないだけかもしれないけれど、あまり印象的な夢というのがない。 できれば夢なんかみないでぐっすりと眠りたい。 眠るのがすきで、(生きるのしんどいな)っていう時期なんか特にねむるのがたのしみだった。日が沈むと気分が落ち着き、朝になって目が覚めると気もちが暗くなった。ねむっている時間は、まっくらで、静かで、私は私ですらなくて、そういうのがたまらなくすきだった。 今はわりと元気いっぱいに生きているけど、それでも眠る時間というのは
久しぶりに河合隼雄さんの本を読んだ。 この本の中で特に私が反応したところは、題名に書いたように誰かを聖人視することへの違和感だった。 第4話で、ドイツの精神科医であるエリザベス・キューブラー=ロスという女性が話題にのぼっている。精神医学のお医者さんである彼女は、死にゆく人との関り方が大きく評価された人物だそうで、そういえば河合隼雄さんの他の著書でもこの名前を目にしたことがあった。 それで、この方について、この対話の前年である1997年にドイツの雑誌に掲載されたキュー
この方の書く本が好きだ。どれを選んでもほとんど外れなく、易しくわかりやすい文体で書かれていて読みやすい。心理学を学ぶ方々にはもちろんのこと、私のような一般人であっても自身と重ね合わせて考えたり、単なる思い付きとおもわれるような個人的な事柄を納得に向かわせたりする。 今日読み終えたのはイメージの心理学。この本の中に、「赤いリボン」というお話が出てくる。箱庭療法において数回の作品を置いた(作った)あと、心を動かされた治療者(おそらく河合隼雄氏)がクライエントの方に 作品を基