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いま従事していることの一つに、ある施設の指定管理の業務がある。先日、そこで案内役や来訪者対応に就いている者から、かなり興奮した様子を含んだ報告があった。Oさんとする。 その施設を含む複数の建物は現在観光施設及び博物館として公開されているため、いちおうの順路を設けてある。順路を示すものは矢印と文字による看板だったり、便宜的にベルトパーテーションなどを利用したものだったりする。 そういう順路案内みたいなものはときどき、こちらの心づもりと見た人の受け取りかたにちょっとしたずれ
コーランに関する本を読んでいて、まだ取りかかりのはじめのほうなのだけれど、慈悲のことを書いてあったところが私の興味をひいた。『コーラン』の入り口と言える、七節からなる「開扉」の章のところに出てくる、<Bismillāhi r-raḥmāni r-raḥīm>ここを著者は「慈悲ふかく慈悲あまねきアッラーの御名において」と訳し慎重にその理解や捉えかたについて丁寧に講話していく。 (よく知らずに読みはじめたけれど、この本は岩波市民セミナーが元になっているようです) 著者は、
『ユングの生涯(河合隼雄著)』という本を読んでいることをちょっと前に書いたんだけれど、それを読み終って、読みかけだった『人生は廻る輪のように(エリザベス・キューブラー=ロス著)』にまた戻った。この本を読むのは2度目なのだけれど、常に新鮮な気もちで生きている私には(つまり内容を忘れていたということ)また新たに感ずるところがある。この2冊を続けて読みたくなった理由は、『ユングの生涯』のはじめに、彼が生まれ育ったスイスという国の土壌についての章があり、ロスもスイスの生まれというの
(タイトルが検閲にひっかかったらどうしよう) マガジンの中に本棚用のをつくっているんだけれど、最近ここの記事を書けていない。活字を追っていないと気が違いそうになるたちだから、大体いつも何かしらの本を読んではいるのだけれど。 先日、記事の最後にジョゼフ・ボナーノの伝記が今ひとつ乗らない、と書いたけれど、それでもしばらくは読んでいた。私が読んでいたのは(当然のことながら)翻訳されたものだったけれど、文章はいくぶん書きこみすぎだと感じるところがあるとはいえ、すごくしっかり