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夢のはなし

「素直さ」との闘い

「自分の言葉で言いなさい」
 母から怒られる度、毎回言われていた言葉だった。
 自分の言葉ってなんだ。大体私が知っている言葉なんて私の身の回り以外では父が買っていた週刊少年ジャンプか、クレヨンしんちゃんからしか吸収していない。おかげで私は小さいときから口が悪い。大好きだったのは地獄先生ぬ~べ~とすごいよ‼マサルさんである。私の宝箱にはマサルさんのシールが貼ってあった。メルヘンな箱にそぐわなくて不意に見つけたときは笑ったな。

 マサルさんもしんちゃんもぬ~べ~も、怒られたときにどう言えばよいのか教えてはくれなかった。

 風の谷のナウシカで古代の文字を見て、自分の言葉=自分で考えた言葉だと思い、怒られたときの返事に使ってみたこともあった。がさらに怒られただけだった。


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 さて私は母と仲があまり良くない。ここまでの話にも何度か母の存在は出てきているので、見てくださっている方は何となく気づいているだろう。

 私が生まれたときから仲が悪かったわけではないはずだ。(そう願いたい。)母は忙しく、一緒にいられる時間はかなり少なかった。たまに一緒にいられる時は、お互い探り探りだったのだと思う。幼い時の家族の記憶はかなり少ない。
 ここではじめに言っておくのは、母も、私も、誰も悪くないということだ。元を辿れば言いたいことも求めたかったこともたくさんあるが、もうそれはお互い様だと思って言及しないことにする。ただ、今でも私は80年生きる人間を腹から出して向き合うことは簡単にできないと思っている。


 身の回りには常にたくさんの人がいて、私と弟の面倒を代わるがわる見てくれた。とてもありがたいことだ。父と母はその人たちに深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言う。私もそれならと「ありがとうございます」と言いまくった。おかげで「いつもいい子だねえ」とよく言われたものだ。
 別にいい子なわけではない。そうしないと私と弟は居場所がなくなると思っていた。

 

我ながら曲がった考えだなと思う。自覚は充分にしていたし、だからこそ私は子どもの頃から素直な子どもになりたい。と願っていた。
 母に相談したところ「本当に素直な子は素直になりたいって言わない」と返されてしまいぐうの音も出なかった。全くその通りだ。もし私の将来の夢を素直に書くとしたら第一位は素直な子どもだ。そんな事を書いたら先生は驚いただろう、私がもし担任だったらすごく困る。

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 ではみんなが求める素直な子になるにはどうしたらよいのか考えた。

 まずはお祈りをすることにした。近所にはたくさん神社があって、お祈りし放題だったし、自然が豊かすぎてお月さまや山も崇め放題だった。

 それから食事は残さず食べることにした。幼い時からすべてのものに命がある風な教育をされてきたので(別に変な宗教とかじゃない)風で飛んだビニール袋にまで感情移入して泣いていた。私のために海からやってきてくれたお魚さんは解剖の域まで細かくして食べられるところは食べたし、お米は作ってくれた祖父の顔を思い出そうとしたが、両家とも吞兵衛でお酒臭い印象しかなかったので米そのものの艶やかさを噛みしめることにした。

 私の祈りは見当違いだったのか、素直な私に入れ替わっている事も、朝起きたら素直味のペロキャンが置いてあって食べたらあら不思議なんてこともなく日々は過ぎていった。

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本当になりたかったもの

大きくなったらなにになりたい?

と聞かれたら「ケーキ屋さんになってこんなケーキを作りたい」「お医者さんになってこんな人を救いたい」と、なりたい職業とその先の目標があると思う。

「素直ないい子」のその先とはなんだろう。

 ある日急に、本当に急に、そんな疑問が降ってきた。確かにその通りである。なので将来の夢としては大々的に掲げず、かっこをつけて胸にしまうことにした。その答えに気づくのはそこからかなり先のことだ。

しかし祈った甲斐はあったようだ。神様仏様ありがとう。


保育園の先生になろうかな

 私と同じ年代の人ならわかると思うが、サイン帳というものが流行った。そこには自分の住所から好きな人まで個人情報駄々洩れの内容が細かに記入できるようになっていた。それが友達のしるしのように、仲が良くなれば書いてきてね、と渡し合っていた。いじめの原因になるから学校に持ってきてはだめだと問題になったことも懐かしい。そこに、「将来の夢は」という項目があり、私は「保育士」しか思いつかないかった。勉強がそこまで得意ではなかったので、私の身近な職業は保育園の先生だった。向いているか向いていないかなんて考えたこともなかった。

 高校に入り、進路を決めるときになったが高校の成績は散々で、びりは何回もとったし、進級が毎年危うかった。やりたい事で学校を選べるほど余裕はなくて、いま進める学校はどれか選んで受験していた。

 保育学科では毎日毎日子どもについて考える。あたりまえだけど本当にそうでびっくりした。自分以外の人について、深く考えたことなんてなかった。何が好きか、どんなことが楽しいか、どんなことが好きになってほしいかを学び話し合う中で、私に関わった先生たちの姿に置き換えることが多かった。あの先生のあの言葉がけは… あのあそびは… と身近に考えるだけでぐんとわかりやすくなった。

 それと同時に、私は子どものときにつけるべき力が育っているのかな、と考えるようになった。自分の苦手なことや、凸凹した特徴に名前がつき、引き摺り出して根っこを調べる作業のようで面白かった。そして気付くのだ。

私、愛されたかったのでは?

長かった。ここまで約10年強経っている。

保育学科ではびっくりするぐらい「愛し愛される」ことについて話される。全てが愛ベースなのだ。右手も左足も鼻の頭も愛されることで自分を愛し、そして相手を愛せるようになるらしい。これは思想云々でなくて、そういう順番なのだ。

「素直な子ども」になったその先は、素直になれば大切にしてもらえる、愛してもらえる、だったのではないか。(保育者となった今では素直じゃない子どもだって可愛い。)私が求めていたのはこれだと私の脊椎が、脳が、全員揃って満場一致花丸をくれた。嬉しいのか悲しいのか分からなくなって当時バイトしていた牛丼屋さんに駆け込みメガ盛りを平らげてみた。そうしなきゃいられなかった。

 気づいたはいいものの、なにも手立てがない私は途方に暮れてしまった。今から帰省して母に請求するわけにもいかない。自分の穴をなにで塞げば満足できるのか皆目見当もつかなかった。


この続きはまた今度。



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