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イブンバットゥータの三大陸周遊記の感想②

前編はこちらです↓

パレスチナ、シリア編

パレスチナ周辺

 ここは私の読む抄本では「イエスのふるさと」とされる。バットゥータはパレスチナ、シリアを経てアラビアにある聖地メッカに向かうが、パレスチナとアラビアの旅程ではやはり聖地メッカやメディナ、エルサレムがあるために宗教的な話が多い。もっとも彼自身法官であるために非常に敬虔なムスリムであり、全体的にそうした話題が多いというのはあるが。
 ガザやヘブロンといった街を経てバットゥータはエルサレムに到着する。(この間にも旧約聖書に出てくるアブラハムとかイサクとかヤコブの墓がある。パレスチナすごい)エルサレムの神殿の丘とされる場所はムハンマドが天に昇ったとされる聖域で、ムスリムにとってカーバ神殿、預言者のモスクに次ぐ聖地である。(ちなみに最初の画像は聖域を覆う岩のドームと呼ばれる建物)またイエスもこのエルサレムで昇天したとされ、キリスト教徒も巡礼に来ているがこの時代このあたりは当時のイスラーム世界の盟主であるマムルーク朝の支配下にあり、バットゥータが言うにはムスリム達に一定の納金をしなければならず、肩身が狭いらしい。まあ十字軍がやってたことを考えると納金すれば入れるだけマシな気がするが。
 この後十字軍最後の拠点のアッコンや、古代のフェニキア人の根拠地であるシドン、最近爆発したベイルート、ちょっと前ISILのアホ共のせいで廃虚と化したアレッポ、キリスト教の五本山の一つだったらしいがムスリムに支配されバイバルスにボコボコにされたアンティオキアなどの著名な都市を経て、(この辺の地名かっこよくてすき)過去のウマイヤ朝の都であるダマスクスに到着する。

古都ダマスクス

 ダマスクスについてバットゥータは様々な感想を書いているが、一言でまとめると「洗練された大都市」といったところだと思う。彼がダマスクスに滞在する間にこんなことがあった。白人奴隷の子供が中国から来た舶来品の大皿を割ってしまった。恐らく相当狼狽してまごついているであろうその奴隷のまわりを野次馬が取り囲んだが、ある人が「その破片を拾い集めて、道具類の慈善団体の管理人のところに持っていくといい」といい、奴隷と共に管理人のところに持っていくと、管理人は同じような皿を買えるだけの金を渡したそうだ。イブンバットゥータはこれについて絶賛している。

まことに結構な制度で、これがなかったら、若い奴隷は主人のためになぐられるか、さもなくばひどく叱られたことだろうし、彼自身も気を落し、心を痛めたに違いないのである。かかる慈善団体こそ本当に人々の心を慰めるものである。神よ、かくまでに善行を高めた人々をよしみたまえ。

中公文庫 三大陸周遊記

 ちなみにこうした慈善団体や奨学金、モスク、マドラサ(学院)、キャラバンサライ(ラクダの隊商の宿)、公衆浴場などの公共施設などは、イスラームの教えで奨励される裕福な信徒達の寄付(ワクフと呼ばれる)によって成り立っており、誰でも自由に利用できる。近代ほど発達しているわけではないであろうが、こうして富の再分配がイスラームの教えを通じてなされていたのだ。

アラビア編

Googleマップのアラビア半島

 アラビア半島は大部分が不毛な砂漠であり、聖地メディナ、メッカへの道も砂漠が大きな障害になっていた。メディナへ行くには四日間灼熱の砂漠を行かねばならないらしく、バットゥータ達巡礼者は水や食料を買い込んだ。ある年には巡礼の人々の水が尽き、瓶に一つの水が金1000ディーナール(1ディーナールは4.25グラムほどらしい)にもなったそうだが最終的には売る方も買う方も死に絶えたという話が紹介されていた。メッカに巡礼ができるムスリムというのは、その周辺に住んでいなけりゃ恐らくたいがいの場合金持ちであっただろうが、その金持ちにとっても命懸けの旅だったようだ。
 無事にバットゥータ達はメディナ、メッカに到着し、預言者のモスクやカーバ神殿といった聖地に参ったことにとても感激していたが、この辺はちゃんとした信仰などは持ってない私にとってはちょっと印象は薄かった。

預言者のモスク

聖都メッカ

 バットゥータによればメッカの人々は道徳面で特に優れており、外国人に親切で、貧民によく食べ物を施していたと感激していた。彼はここを離れた後もまたメッカに戻り数年に渡って滞在していたからよほど気に入ったのだと思う。他にはカーバ神殿にお参りしたことも詳細に書いていたりメッカの狂人の話などもあるがどちらも印象は薄い。メッカの話は平和過ぎて旅行記としてはちょっと面白みにかけるな~というのが正直な感想。もうちょっと後のインド編がハチャメチャ過ぎて記憶から吹き飛んだのかも知れない。今回はここで終わります。




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