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私の出産記録 Part2


先日、第二子を出産した。

2回目だしなぁと思っていたが、第一子の時と全然違った出産なったので、こちらも記憶が薄れぬうちに記しておこうと思う。


ちなみに。
第一子の出産記録はこちら。


さて。

第一子の時、予定日より2日早い出産だった私。
分娩時間も初産にしては短めの8時間半くらいだった。

なので2人目となると、色々、諸々、もっと早いんだろうなぁと思っていた。


が。実際、予定日を過ぎても陣痛が来なかった。
予定日から5日後に妊婦健診を予約して、主治医には「そこでまだ陣痛が来てなければ検診の2日後から入院にしましょう」と言われていて。
ソワソワする毎日。
当たり前のように夜は前駆陣痛があったので、来るか?来るか?と、毎晩気になっていた。

予定日の2日後である、9月25日の夜。

その日も夜になると前駆陣痛が始まった。
前の日の夜も、1時間に1回のペースで、目が覚めてしまうくらいの痛みを感じでいたため、私はとても寝不足だった。
また今夜もかと思いながら、眠たい目を擦りつつ、痛むお腹を温めながら腰をさする。
それに気付いた夫が、黙って隣に来て腰を擦るのを代わってくれた。

夫も、疲れていたと思う。
予定日の1週間前から仕事をテレワークに切り替え、毎晩、私以上にソワソワしながら過ごしていたのだから。

1時間毎であっても眠れれば良い。
普段の傾向からして、遅くても朝の5時頃には痛みが和らぐ。
そう思いながら寝室で横になっていた。

しかし、その日は違った。
23時頃、いつもより痛みが少し強くなる。
間隔も定期的で、10分毎だった。

病院からは、経産婦だから陣痛の間隔が15分を切ったら電話するようにと言われていたが、陣痛というほどの痛さでは無くて。
前駆陣痛が10分間隔、という感じだった。

「電話する?」
「いや、まだそんな強い痛みじゃないんだよね」
「これでも?」
「うん、これでも」

1人目の時が里帰りかつコロナ禍だったため、夫は私が陣痛に苦しむ姿を見ていない。
普段、痛みに強くて喚くことの無い私が顔を顰めているのを見て、陣痛が来たと思ったようだ。
しかし一度経験している私自身は、この痛さは、寝れないくらいには痛いけれど、病院に行っても多分前駆陣痛として帰宅を促されるやつだと思っていた。

そのまま1時間が経過した。
間隔は変わらないが、痛みはジワジワと増してくる。

「やっぱり電話しようよ」

夫に言われて時計をみたら、ちょうど日付が変わる時だった。

9月26日。
前駆陣痛ではなく微弱陣痛の可能性も考え始めた私は、夫に言われた通り病院に電話をかけた。
病院からの回答はやはり、前駆陣痛かもとのことだった。
しかし予定日を過ぎているし、経産婦だし、1人目のお産も分娩時間が短めだったので念の為入院バッグ一式を持って病院に来るようにとの指示がある。

荷物は自分で持ち、夫は寝ている息子を抱きかかえて車に乗り込む。
家から10分の病院へと到着した。

0時30分、病院に到着。
内診をしてもらうと、子宮口はまだ1cmだが、赤ちゃんが降りてきて頭がハマっているとのこと。
子宮口自体は柔らかくなっていて、いつ本陣痛が始まってもおかしくないため、このまま入院しようとの判断になった。
4日前の検診では赤ちゃんがまだまだ降りてきていないと言われていたので、少し驚いた。

幼い息子を連れての立ち会いは不可で、元々夫婦でもそう決めていたので、荷物だけ預かって夫と息子とは帰宅。
私は経過観察室に入った。

1時30分。
遂にきたかという気持ちでリラックスが薄れたのか、痛みが弱まって間隔も15分程度へ。
とりあえず体力回復のために寝れる時に寝ることにする。
2日近くまともに寝ていなかったせいか、この時は瞬く間に寝落ちした。

4時00分。
様子を見に来た助産師の方により、モニターを付けることとなる。
しかしまだ痛みの間隔は短くならず。
強さも特に変わらないため様子見。
そのまま再び寝落ちして、1時間後に痛みで目が覚めた。
そこからは20〜30分の間隔で痛みが来た。

7時00分に朝食が運ばれてきた。
それなりの量があったが、これから先は体力勝負だと分かっていたので、痛みの合間に食べれるだけ食べる。
なんとか完食して横になり、再び痛みと戦った。

9時になると、看護師さんではなくいつもの検診時の主治医が来た。
内診しますねの言葉とほぼ同時に、内診グリグリ。
痛い。めちゃくちゃに痛い。
これが噂の内診グリグリ!と思いながら、今回の妊婦生活、初の絶叫をかます。
内診自体も痛いけど、その直後の陣痛も、とてつもなく痛かった。

11時には子宮が4cmまで広がり、内診グリグリ効果か!と、進んだことに喜びと安心を覚える。
この時に昼食が食べられそうか聞かれるが、座ってお箸を握ってというのが辛かったので、陣痛食へと切り替えてもらった。
12時にはそれが運ばれてきて、小さめのおにぎり3つと、カットフルーツ、ウィダーインゼリーをベッドに半分横になったまま食べた。

13時00分。
再びの内診。
子宮口は相変わらず4cmから進まない。
まだかと落胆しかけていたら、モニターを確認していた助産師さんが首を傾げる。
「ん?ちょっと位置がズレてるかも」
どうやら、私のお腹の張りは計測されていたが、途中から赤ちゃんの心音が計測されていなかったらしい。
右へ左へと動かしながら、赤ちゃんの居場所を探す助産師さん。
「あれ?」
何かあったかと顔を見れば、赤ちゃんの心音の位置がめちゃくちゃ下がってきているとのこと。
赤ちゃんが出口へ近付いてきているということで、念の為に経過観察室から分娩待機室へ移動する。
分娩室が目と鼻の先で、中から産まれたばかりなのか、赤ちゃんの泣き声が聞こえていた。

17時00分の内診で、子宮口が5cmになった。
ようやくの1cm。
それでも、進んでいるという事実に救われる。

間隔は10分間隔が続いているものの、痛みが一向に強くならない。
痛いのは、痛い。
寝るのは無理だなと思うくらいには痛いけど、声を上げるほどでもなくて。
3つある分娩待機室のうち、私以外の2部屋からは、5分間隔くらいで痛い痛い痛い!と叫ぶ声が聞こえていた。
きっと先に産まれるであろう見知らぬ妊婦さんたちに、心の中でエールを送りつつ、私は夕食の時間を迎える。
昼食を陣痛食にしてもらっていた分、お腹がすいている感じはしたので、夕食は普通食にしていた。
お肉もお魚も野菜も、フルーツも全部が美味しそうなメニューなのに、不意に吐き気がした。
食べ物の香りを何故か受け付けない。
食べなきゃ体力的にマズイというのは頭で分かっていつつも、全然箸が進まない。
結局、少量のお米と、スープとフルーツのみを完食して終える。
その時は、横になっているより座っている方が楽だったので、しばらく座ったままで痛みをやり過ごした。

それから2時間。
めちゃくちゃ重い生理痛みたいな腹部への痛みに耐え続け、20時の内診でようやく横になる。
リラックスのためにと部屋の電気を薄暗くして、眠るようにと心がけた。

「何か変化を感じたら教えてね」

背中を摩ってくれた助産師さんに、そう言ってナースコールを握らされて目を閉じる。
痛みに慣れてきてしまったのか、疲れの方が上回ってきたのか、そこからはずっとウトウトしていて余りよく覚えていない。

22時00分。
下腹部だけだった痛みに、腰痛が復活した。
痛みの間隔も、5分間隔になってきた。
念の為にナースコールを押すが、内診の結果はまだやはり子宮口5cm。
気が遠くなった。
1人目の時は子宮口3cmから全開まで3時間適度だったので、今回もそれくらいの時間を想像したいた。
それなのにどうだ。
全然違うじゃないか。

痛いからと無闇に声を出すと体力を消耗するのは分かっていたので、出来るだけ声を出さぬように、腰を擦り、ベッドの柵を握りしめながら痛みが通り過ぎるのを待つ。
隣の部屋では、まだ同じように痛いと叫び続ける声が響いていた。
私より先に待機室に入った人でさえもまだ生まれていないわけで、じゃあ私はいつまでこんな感じなんだろうか。
思考がマイナスに引っ張られる。

どうやら隣も、その隣も立ち会い出産らしく、旦那さんらしき人が出入りしたり声をかけたりしているのが分かった。
私は立ち会い出産では無い。
夫が自宅に居なければ、息子の面倒を見る人がいないからというのが一番の理由。
とはいえ立ち会いしないことは、私自身も望んだことで(例え夫でも実母でも、周りに常に人が居るのは無意識に気を遣ってしまって集中出来ないタイプなので)、それを羨ましいとは思わなかったが、柵を握り締めたいし背中も押したいしお腹も温めたい!という時に手の数が足りないから人手は欲しいなとはボンヤリ思った。

そんな中ら1件のLINEが届く。
夫からだ。

送られてきたのは、1本の短い動画。

そこには夫と息子が映っていて。
「ママは?」
「ママー!」
「ママ頑張れー!いけいけゴーゴー!って、応援してごらん?」
「ママー!ゴーゴー!いけいけ!ゴーゴー!」

私が入院する前には、いけいけ!だなんて、言ったこともなかった息子。
まだまだ幼い1歳10ヶ月。
夜中に突然起こされて、病院という慣れない場所で意味も分からずバイバイして、そのまま夫と2人で家に帰った息子。

その感情がなんなのか分からないけれど、私はその動画を見て涙が溢れた。
痛い、辛い、もうやだ、帰りたい、早く産みたい、解放されたい。
会いたい。
お腹の子にも、息子にも、はやく会いたい。

「応援しか出来なくてごめん」

続いて届いた夫からのLINE。
そんなことないよ。
たくさんたくさんサポートしてもらってるよ。
心の中でそう返事をしながら、押し寄せる痛みに耐える。

23時00分。
もはや痛い時間より痛くない時間の方が短くなってきて、それまで我慢していた声が抑えきれなくなり、一人きりの部屋で何度か痛いと叫ぶ。
隣の部屋の妊婦さんも、同じような何度も叫んでいて、顔も知らないが共闘している気持ちになりながら無我夢中で耐えた。

日付けが変わった。
9月27日。
痛みと同じように睡魔も襲ってきて、頭がボーっとしていた。
腰より下がずっと全部痛くて、間隔も計れなくなってきて。
時計を見ると、1時00分になろうとしてきた。
そんな中で、下腹部の痛みが少し減って、代わりに臀部への痛みが加わった。
もしかしてと思って、ナースコールを押す。
すぐに内診してくれた助産師さんが、子宮口が6cmまで開いていることを教えてくれた。

「破水してますね」
「え?」

量が少なかったのと、陣痛に気を取られていたのもあって破水に気付かなかった。

「分娩室に行きましょう」

痛みが収まっている短い間に、ベッドから立ち上がって分娩室に移動する。
とても近い場所だったので、途中で痛みに襲われることもなく、スムーズに分娩台へと移動できた。

助産師の方が、シートを被せたり、手袋をはめたりしているのを横目でなんとなく見ながら、激痛に耐える。
これだ!これが本陣痛だ!と、疲労で機能が低下している脳内でそんなことを思う。
やっぱり電話した時の痛みは前駆陣痛だったよなぁとか、こっからが痛いんだよなぁとか、息子を産んだ時の光景がフラッシュバックして、これから始まるであろう長い戦いへと想いを馳せる。

再びの激痛をなんとか逃し、思い出した私は枕元に置かれていたスマホを手に取った。

1時23分、夫と両家の両親との6人で作られたグループLINEに、分娩室に入ったことを知らせた。
入院したときから定期的に、頑張れと、皆がそれぞれにエールを送ってくれていた。

「もう8cmまで来てますからね」

助産師さんの言葉に、4cmから6cmまでの2cmは果てしなかったのに、6cmから8cmまでの2cmは一瞬だなと驚く。

8cmということは、全開まであと2cm。
いつ、いきみ始められるのだろうか。
とりあえず痛みを逃そうと試みるが、次に来た痛みも強すぎてもう声が我慢出来ない。

「腰は下ろして、浮かさないで」

助産師さんのその言葉に、息子の時も同じことを言われたなぁと思い出しながらも「無理!」と叫んだ。
無理でもやらなきゃいけないのは分かってるんだけどなぁと、頭の中で自分に突っ込む余裕はあった。
謎の余裕だ。

さらにもう一度、襲ってきた激痛。
身体が勝手にいきんでしまった。
あ、まだ全開って言われてないのに。
そう思うけれど、力を入れることを止められない。
陣痛が収まるまで、うわぁとか、なんか、そんな事を良いながら踏ん張る。
ようやく収まった痛みに力を抜くと、股に何かが挟まっている感覚がある。
私はそれに、覚えがあった。

「休めてる間に身体まっすぐにしてー」
「はい」
「次の痛みでまた同じようにするよー」

そう言われて、確信に変わる。
ああ、子宮口全開なんだ。
今この挟まっているように感じているのは、赤ちゃんの頭だ。
きっともう、そこまで来てる。

数分も待たずにやって来た激痛。
私は腰を浮かせないことを意識しながら力を入れる。
出てきている。
それが分かった。

「ナースコール押せる?」

予め顔の横に置かれていたナースコール。
私はそれを押した。

急に分娩室に人が増えた。
チラリと見た時計は、1時35分。

再度の痛み。
でも、さっきまでほどの激痛ではない。
身体が勝手に反応して力を入れる。
ズルりと抜け出る感覚。

「息はいて力抜いてー」

その言葉に、ふぅーと息を吐きながら足元を見やると、顔があった。
赤ちゃんの、顔が見えていた。

1時36分。
分娩室に入ってから30分程度で、第二子が誕生した。


これだけ長々と書いたが、破水から産まれるまでは本当に一瞬で。
分娩時間は2時間38分だった。

息子の時、酸素マスクまで付けて、途中休憩を挟みながら、数え切れないほど踏ん張って力を入れてなんとか押し出したのに。
今回は多分、5回くらいしかいきまなかった。
予想外すぎて、なんというか、生まれてきたという実感が無かった。
よし!と、意気込んだらもう生まれていた、という感じだった。


前駆陣痛から本陣痛まではめちゃくちゃに長くて、もう嫌になって、1人目より2人目の方が大変じゃないか!聞いてた話と違う!なんて思ったけれど。
いざお産となると、2人目の方がめちゃくちゃに楽すぎて。
お陰様で傷も2cm。
入院中に傷の痛みは完全に無くなり、息子の時に重宝した円座クッションはどうやら退院後は必要なさそうである。
アドレナリンもそこまで出ていなかったのか、出産後は分娩室でぐっすり眠れた。
筋肉痛が軽くあった程度で、普通と変わらず歩けている。
噂通り、1人目の時より後陣痛は痛いけど。
それもまぁ、我慢するのは授乳中くらい。
子宮の戻りはめちゃくちゃ良いらしく、出血もほぼ止まった。
とてもスムーズに回復している。


こんなにも違うか、という2回の出産。

思い返せば、1人目はほとんど無かった悪阻が、2人目は点滴打ったりするほど重く、なんなら後期づわりまであった。
胎動も、1人目はなかなか感じなかったが、2人目はちょっと大人しくしてと思うくらいに激しかった。
1人目は直前まで逆子だったが、2人目は早々に位置を決めたのか検診では毎回同じ向きだったり。

男の子と女の子という差はあれど、同じお腹の中で育った子なのに、こんなに違うんだなとか。

でも2人ともお腹は横より前に出たし、甘いものより塩っけのあるものが欲しくなったし、産まれてきたら顔はそっくりだし。
似ているところもあって。

全く同じ出産って、この世にはないんだなと。
そんなことをぼんやり思う、退院前日。

今夜は病院の所謂お祝いディナーが待っている。

明日の午前中には、夫と息子の待つ家に帰れる。


産後の恨みは一生の恨み、なんて言葉をよく聞くけれど。
産後の恩は一生の恩だと思った。

毎日毎日、息子を連れて面会に来てくれて、洗濯やら手続きやらを嫌な顔ひとつせずこなしてくれた夫。

大変だよね、ごめんねと言うと「今はハルより大変な人いないから」と、帰り際に自動販売機でジュースを買ってくれる夫。

4人家族になったことで、また私たちの暮らしは変化を見せるのだろうけれど。
この4人なら大丈夫だと、なんとなく思うのだった。

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