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親子記録▶3ヶ月~6ヶ月


3ヶ月~6ヶ月のトピック
・乳児健診
・お食い初め
・哺乳瓶拒否
・支援センターデビュー
・夫の勤務形態変更


最初に言っておく。
3ヶ月~6ヶ月までは、私のゼロ歳児育児の中で最強に辛い3ヶ月間だった。
そのため、ここからしばらくの内容は、暗いものになるかもしれない。
それだけはご了承願いたい。


1ヶ月半に及ぶ夫の育休が終わり、ついに始まった息子との2人生活。
最初こそ順調だった。
一緒に昼寝をしたり、ベビーカーで近所を散歩してみたり。
のどかな日々が、これから始まっていくのだとばかり思っていた。

1週間経って、まず来たのが睡眠不足。

これまでは夫にみてもらっている間に昼寝をして解消していた睡眠不足。
だが1人になると、そうはいかない。
息子はまだ一日のうちに何度も寝たり起きたりをする頃で、昼寝をしても1時間くらいしか寝ない。
息子が寝たから今のうちにと洗濯や食事の準備やをして、キリがいいから自分も寝ようと思って横になって、ウトウトし始めた頃に息子は起きる。
結局寝れずに夜が来て、夜もまだ3時間毎に泣いて起こされ、オムツを替えて授乳をして。

背中スイッチというやつなのか、寝たと思って布団に置いたら起きてしまう現象も続いており(我が子は抱っこ布団的な物を使っても背中スイッチは発動した)、ソファで抱っこしたまま寝たことも数え切れない。

とにかく、日々、ずっと、眠かった。


そんな時、さらに襲いかかってきたのが哺乳瓶拒否だった。
咥えない。咥えさせたらギャン泣き。
まれにちゃんと咥えても、吸わないからミルクは減らない、飲んでない。
当たり前だがそれじゃあ満たされない息子は、お腹がすいたと泣いてみせる。

私はこの頃、迫る前撮りと結婚式に向けてダイエットを初めていたこともあってか、前ほどしっかり母乳が出なくなっていた。
産後3ヶ月で産前と同じまで戻した体重を、さらに減らしたくて始めた食事制限。
そのせいで出ない母乳をミルクで補いたいのに飲んでくれなくて、仕方ないからと食事を普通に戻しても、一度出る量が減った母乳はなかなか元には戻らない。

空腹のせいでよく泣く息子には、頻回授乳で対応するしかなくて。

ようやく3時間から4時間続けて寝てくれるようになっていた夜も、2時間で起きるような日が増えていた。

なんでミルクを飲まないの!!!

イライラして、それを口に出してしまったこともある。
夫があげてもダメで、哺乳瓶を変えても、ミルクを変えても、温度を変えても抱き方を変えても場所を変えてもダメだった。
母乳しか、ダメだった。

母乳しか飲まないと、当たり前だが預けることは出来ない。
義両親に預けたとしても2時間が限度。
息子がお腹を空かせる頃には授乳するために傍に居なければならない。

息子は可愛かった。
首も座り、自分のつま先に触れるようになり、親の声に反応して笑う。
4ヶ月の頃体重も6.8kgまで増え、コロコロぷにぷにとした体つきは赤ちゃんそのもので、本当に可愛かった。
気付けば寝返りをして、寝返りがえりも覚えて、部屋中を転がり回る姿は、とてもとても可愛かった。

けれど、辛かった。

一緒にいる時間が、どうしようもなく辛い時があった。
自分が睡眠不足の中、飲まない寝ない泣きじゃくるの息子をずっと抱っこし続ける生活は、私の精神をどんどん壊していった。

こんな時、もっと実家が近ければ。
何度もそう思ったが、無職の自分が簡単に飛行機に飛び乗って実家へ帰るわけにもいかず。
夜、夫が息子をお風呂に入れてくれる時間だけが一人の時間だった。


哺乳瓶拒否を頻回授乳で凌いでいた私には、果たして息子の飲む量が足りているのか、という不安も付き纏っていた。
頻回授乳のおかげが、少しずつ母乳の出る量は増えて、胸が痛いほど張るようになっては来たものの、数字としては目に見えない。
それを解消できたのが、乳児健診だ。
身長も体重も標準通りに成長しているし、首も座っててしっかりしてるよ、という話をしてもらって、心底安心したのを覚えている。

よかった、この子に栄養は届いてる。

日々の努力が救われた気がした。
この時、哺乳瓶拒否について相談したが、やはり出来ることは根気よく哺乳瓶に慣れさせることと、頻回授乳をすることで。
いつまで続くのか分からないこの生活に目眩がしたのも事実だった。


里帰り出産だった私は、ニューボーンフォトとやらを撮らなかった。
自分では撮ったりしたけど、スタジオなどへは行かなかった、という意味で。
それはひとつ、初めてのスタジオ撮影は、家族揃ってが良いという希望があったからだ。
というわけで、息子の初めてのスタジオ撮影は100日祝いですることにした。

夫も含めて家族3人で撮れるからというのもあるし、夫の地元では100日記念に写真館で写真を撮るという風習があったからでもある。

おめかしして、綺麗な一軒家のスタジオで、素敵な夫婦のカメラマンさんに写真を撮って貰えたのはとても良い経験になった。
写真もどれも素敵で、実家に飾ってもらう写真を選ぶのは一苦労だった(結局絞りきれず5枚コラージュにした笑)。

ちゃんと授乳室も完備されていたから、半日かけて良いタイミングで撮ってもらえたのもよかった。


そしてお食い初めもした。
一応それらしいセットを購入し、家族3人で行ったお食い初め。
順番どうこうまでは守らなかったが、それでも「一生食べ物に困らないように」との願いを込めた。


そういうイベント事は楽しかったし、日々の辛さも忘れられた。


だけど夜が来る度、夫が仕事で居なくなる度、孤独と辛さと不甲斐なさに飲み込まれて行った。

息子の乳児健診の際、助産師の方から追加で渡された紙に「産後うつの相談先」という物があった。
時間がある時に電話してみてね、と言われ、自分が産後うつの可能性があるのだと知った。
電話でのカウンセリングを受けたが、あの頃の私は何に対してもイライラしていたせいか「共感なんて要らないから解決策を提示してくれ!共感してくれたって、睡眠不足も哺乳瓶拒否も治らないんだよ!」なんて思ったりして。


気付けば涙が出ている夜もあった。
ベランダで息子を抱いたまま、気付けば30分立ちっぱなしだった夕方もあった。

このままじゃダメだ。
何か、何かしなければ。


そう思った私が手を伸ばしたのが、役所からの案内にあった支援センターだった。

3ヶ月になって2週間くらいたった頃、家から徒歩20分の場所にある支援センターへと向かった。
初めてで緊張している私に「初めましてのママさんだね?」と声をかけてくれた先生が、とても優しそうで気さくでホッとしたのを覚えている。
その日いる子たちの中で、明らかに1番小さかった息子。
それでも「もっと小さい子も来るよ〜木曜日はベビーの日だから同じくらいの子もいっぱい来るよ〜」と、私たち親子を迎え入れ、初日ということもあって先生の1人が優先的にそばに居てくれた。

それからは、木曜日を中心に週に一回通うようにした。
夫以外との会話が息抜きになった。
寝返りや寝返り返りなどの息子の成長に気付いて、先生がかけてくれる声が嬉しかった。
同じ月齢の子のママと悩みを共感し合うのも、少し月齢が上の子のママから対策を聞くのも、ネットで調べるのの何倍も参考になった。
サイズアウトした服を譲ってもらったり、哺乳瓶拒否の話をしたら、色んな種類のミルクを分けてくれたり、息子が興味のあるおもちゃを知れたり。
息子と2人で、部屋にこもりっきりの日々は、週に一回の支援センターで随分と変わった。

息子が息子が5ヶ月になった頃、夫の勤務形態が変わった。
それまでは常日勤で、平日5日間、朝から夜まで働いていた夫が、シフト勤務になった。
日勤、夜勤、明け、休みの繰り返し。
4日に1度は休みで夫が家にいる。
これは私の身体的な負担をグンと減らした。
睡眠不足が解消された。
夜勤の日は夜のお風呂も寝かしつけもやることになったけれど、それくらい苦にならないくらいには、体調がよくなった。


「支援センター行ってみたいな」
平日に休みが出来た夫のそんな一言で、一緒に支援センターにも行った。
先生はもちろん、他のママさんたちもウェルカムな雰囲気で受け入れてくれて、夫は走り回るような男の子たちに懐かれていた。

夫曰く、私が支援センターに通い始めてから、少し元気になった気がしたから、どんな所か見てみたかったらしい。
自分でも思っていたことだが、夫からも元気を取り戻したように見えていたことで、支援センターに行き始めてよかったと思った。


相変わらず、夜は2〜3時間毎に起きる息子。
それでも6ヶ月になる頃には、授乳せずともおしゃぶりと添い寝で寝たり、数日に1回は哺乳瓶でミルクを飲むようになったり。
少しずつ、ほんの少しずつ、変わっていく様子を見せてくれていた。


息子、人間歴6ヶ月。
私、母親歴6ヶ月。

ようやく、長くて暗いトンネルの出口が見え始めた時だった。

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