私事ではありますが。
私事ですが、この度、結婚しました。
5年前に出会い、4年前に交際をはじめ、3年前から同じ家で暮らし始めた、ひとつ年下の恋人と。
結婚なんて、しないと思ってました。
それは、彼とはしないという意味ではなく。
自分の人生に、結婚というものが当てはまらないと思っていたのです。
これまでに付き合った人数は片手では足りない私ですが、誰のことも本気で愛したことないでしょうと友人に言われるような人間でした。
好きになることと愛することは違うんだと言われても、正直よく分からなくて。
でも、これまで付き合った人のことはみんな好きでした。みんな、いい人でした。
私には、結婚のメリットが分かりませんでした。
結婚したらどうなる?
たくさんの手続きを経て、夫婦になって。
それぞれの親戚付き合いなんかが増えて。
それなら、恋人のまま一緒に暮らしてた方が楽しいじゃないか。
そもそも、結婚して一緒に住んでいる2人と、同棲して一緒に住んでいる2人、なにが違うんだろう。
同じ家で毎日を過ごすことに変わりはなくて。
それが恋人であれば、夫婦になるより喧嘩もなく楽しく幸せに暮らしていけるんじゃないだろうか、とか。
両親には、そりゃあ結婚を急かされた。
それが煩わしい時もあった。
でもじゃあ、結婚したら、次はきっと、子供のことを急かされるんだろう。
私は、子供が出来にくい体質なのに。
何度産婦人科で検査を受けても、返ってくる答えは一緒。
それならまだ、結婚を急かされてる方が何倍もマシだ。
結婚なんてしなくていい。
してなくたって楽しく生きていける。
それは間違ってないと思うし、今でもそう思っています。
両親に急かされるのが嫌で、一人で生きていくための自由と言い訳が欲しくて、地元を飛び出したくらいだから。
けれども私は、結婚します。
幸せになるためではなく、不幸に寄り添うために。
私が体調を崩して動けなくなっていたとき、駆け付けて世話をしてくれたのが彼でした。
私が婦人科検診の結果に打ちひしがれていたとき、じゃあ大きな犬を子供にすればいいと笑ってくれたのが彼でした。
私が仕事で上手くいかなくて心折れていたとき、一緒に改善方法を考えてくれたのが彼でした。
私が親しい人を亡くしたとき、ただ黙ってそばに居てくれたのが彼でした。
私が大切な人に突き放されたとき、僕は離れないよと抱きしめてくれたのが彼でした。
だから、私も、彼に辛いことや悲しいことがあったとき、そばに居たいと思いました。
もしものことがあったとき、1番にそれを知らされる存在でありたいと思いました。
ただただ連絡が取れないことを不安に思いながら夜を超えるのは、もう嫌だなと思いました。
これは私の悪い癖ですが。
先走って考え込んで、ひとりで結論を出してしまう癖があります。
きっとこうした方が相手にとってはいいはず。
きっとこう言った方が相手にとってはいいはず。
きっとこう選択した方が相手にとってはいいはず。
きっと。きっと。きっと。
想像ばかりで動いて、相手の本当の意志を汲み取れていないことがよくあります。
そんな私の言葉を受け止めて、そうだね、だけとね、と。手を握って自分の意見を伝えてくれる彼。
これからのことを、何度も何度も話し合ってくれる彼。
離れる幸せではなくて、隣にいる幸せを望んでくれる彼。
好きだよと伝えてくれる彼。
言霊ってのを信じてるわけじゃないけど。
毎日毎日、伝え続けてくれた好きという言葉に、他人を信じることが苦手な私も、いつの間にか心を許すことができるようになっていました。
一緒に幸せになります。
でも、一緒に不幸にもなります。
そのために、私は、結婚することを選びました。
こんな面倒くさくて我儘で、どうしようもない私のことを、辛抱強く見捨てずにいてくれた彼に。
残りの人生で、少しずつ恩返しが出来ますように。
そう思いながら、残された人生を消化していきたいです。