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秋晴れの中で手を振った

(※個人的な記録となります)


今から18年前、家族が増えた。

その年のクリスマスに我が家にやってきたのは、生まれて3ヶ月のミニチュアダックスフンド。
クリーム色の毛が、まだまだ短い赤ちゃんだった。

4つ年下の弟と、一緒に名前を考えて、レオと名付けた。
レオは、弟がクリスマスプレゼントにサンタクロースにお願いしたプレゼントだった。

好奇心旺盛でやんちゃ坊主で、他人に対しては警戒心がものすごく強く、家族以外にはすぐ吠えてしまう、我が家の末っ子。
ケージの中に入れていても、すぐに出てきたがって。
トイレを覚えてからは、ケージのトビラは開けっ放しで。
夏は冷房の効いた部屋で走り回っていたし、冬は家族が集まるこたつに寄ってきて一緒に温まった。
人間が食べる物をすごく欲しがって、何だかんだレオに甘い我が家の家族は、少しだけだよなんて言って。
クッキーを焼いた時は分けてあげたし、かき氷も食べさせてみたし、大晦日には家族みんなでこたつに入って年越しそばを食べた。

お手とおかわりを覚えて、お座りを覚えて、待てを覚えたけど待ってる間はずっとソワソワしていて。
待ちきれない待てを見て、みんなで笑った。

散歩に行くと、帰りたくない日は家と反対方向に歩こうとして、帰りたい日は自分から家の方に向かってリードを引っ張った。
父親の自転車のかごに乗って少し遠出をすることもあった。
車に乗せて、公園にも行ったし、船に乗って、海にも行った。
寒い中、近所の神社に初詣に行ったりもした。

私が学生の頃は、部活で帰りが遅くなったり、部活の後にバイトしてたりもあって、なかなか一緒に外で遊んであげることも出来なかった。
休日に散歩に行くくらいで。
家の中で一緒に居ることばかり。
階段はダメだよって言うのに、2階にある私の部屋まで駆け上がって来て、降りる時は自分では降りれないから抱っこをせがんできた。
撫でてくれって頭を擦り付けてきたり、昼寝してるといつの間にか足元で一緒に寝てたり。

長く一緒にいると、感情が伝わるのかな。
誰かが辛くて泣いてる時は、そっと傍に来て、背中を向けてお尻をくっつけて座る。
誰かが楽しくて笑ってる時は、尻尾をちぎれそうなくらいに振りながら全速力で走り回って、家族を置いて走ってく。

レオは犬にしては珍しく、水が好きで。
家族の誰かがお風呂に入れば、お風呂場のドアの前まで行って、入れてくれと訴えるし。
外で草木に水やりをしていると、そのシャワーから出る水に顔面から突っ込んでくる。
海も川も、平気で飛び込む。

私が転職を機に実家を出てからも、2ヶ月に1回実家に帰る度に、玄関で出迎えてくれた。
他人にはめちゃくちゃ吠える子だから、帰省する度に不安になって玄関のドアを開けるんだけど、いつも駆け寄って来てくれて。
忘れられてなかったって、私は安心した。

コロナが流行り始めて、1年、2年と、帰省出来ない日々が続いて。
母親とのテレビ電話でレオに呼びかけていた私のことを、レオがちゃんと分かっていたのかは分からない。
本当に何年も会えてなくて。

昨年の年末、婚約の報告をする為に、私は数年ぶりに実家に帰省した。
その時も不安に思いながら玄関のドアを開けたけど、レオは吠えずに迎えてくれた。

でも、駆け寄っては来なかった。

レオの足が悪いんだと母親に聞いたのはその時。
レオはもう、17歳になっていて、立派な高齢犬だった。
後ろの左足が痛いようで、歩くのも立つのも困難な状態になっていた。
片方の目も、白内障が進んでいた。
少し、痩せてもいた。

数年会わない間に弱ってしまっているレオの姿を、何となく直視出来なくて。
足が痛いせいで抱かれるのが苦痛みたいだという母親の言葉もあり、その時、私はレオを撫でるだけして帰った。

それから数日後、レオが痙攣を起こすようになったと母親から連絡があった。
動物病院の先生曰く、もう先は長くないだろうと。
心の準備をするようにと。

後悔した。
年末の帰省で、もっとレオに触れて、もっと声をかけて、もっと顔を見ておけばよかったと。
何度も何度も後悔した。

それから3ヶ月。
私は、結納のために夫と一緒に実家に帰った。
レオはやっぱり足が痛いようで、ずっと寝ている状態だった。片目だった白内障は、両目になっていた。

ただいまと玄関を開けると、レオの姿は無かった。
レオは、実家の、私の部屋だった所に毛布を敷かれて寝ていた。
同棲の挨拶に来たときは、夫に対して警戒心剥き出しで吠えていたのに、その日は全く吠えなかった。
見えてないし、匂いも分からなくなっていて、それが家族以外の他人だと分からなかったのかもしれない。
けれど夫に撫でられても吠えずに気持ちよさそうにしているレオの姿を見て、私は泣きそうになった。
レオが、夫のことを、家族として認めてくれたような気がしたから。

私もその日はレオをたくさん撫でた。
何度も声をかけて、夫と3人で写真も撮った。
年末に後悔した分、たくさんレオに触れた。

足も、目も、良くはならなかった。
けれど日によって調子がいい日もあるようで、母親から、今日は上半身起こしてるよ、今日はほふく前進で動いてるよ、今日は見えてるみたいで目で追ってくるよ、なんて話を聞いて、まだまだ長生きするかもねなんて笑った。

春が来て、私は夫の転勤で引っ越した。
その直後に妊娠が分かった。
夏が来て、里帰り出産を決めた。
9月には帰るよと実家の家族にも伝えた。
秋が来て、私は里帰りした。
半年ぶりの実家だった。

半年でさらに痩せてしまったレオ。
それでも日によっては母が言う通り目で追ってくれる日もあったし、足にさえ触れなければいつでも撫でさせてくれた。

9月26日に、レオは18歳になった。
おめでとうって、久しぶりに家族揃ってレオの誕生日をお祝いした。
小型犬の18歳は、長寿として表彰される年齢らしいって知って、みんなで血統書を出してきてみたりして。
人間だと88歳になるレオは、いつの間にか、我が家の末っ子から、我が家の長寿になっていた。

里帰りしてから毎日、朝一番にレオを撫でておはようと声をかけ、夜寝る前にはレオを撫でておやすみと声をかけた。
夜泣きをするようになっていたので、レオはリビングで母と一緒に寝ていた。
10月に入ると、排泄も自分では難しくなったので、オムツを着けるようになった。
最初は嫌がってたけど、3日もすれば慣れたのか、何も言わなくなった。

私のお腹の子が産まれたら、レオはおじいちゃんの立ち位置になるのか、叔父さんの立ち位置になるのか、どうなんだろうね、なんて。

レオのオムツと、産まれてくる子のオムツな並んでいる我が家のリビング。
変なのって、笑ってた。

10月21日。
その日もレオにおはようと声をかけて1日が始まった。
けれどその日、レオはずっと眠っていて。
少量なら食べていたご飯も全く食べず、水すら飲まなかった。
大好きなおやつも食べなかった。
それなのに、胃は空っぽのはずなのに、嘔吐した。

食べなくなったら、もって数日。
どこかでそういう話を聞いたことがある。
急に怖くなった。

翌日、10月22日。
両親も弟も用事で出掛けている中、私とレオは2人きりで留守番していた。
レオのケージの方で音がした気がして覗くと、ずっと眠っていたレオが上半身を起こそうとしていた。
もう筋肉のない足で、一生懸命踏ん張ろうとしていた。
私はレオを両脚で挟むようにして、なんとか座らせた。
口元に水の入った容器を持っていくと、必死で水を飲み始めた。
たくさんたくさん、水を飲んだ。
ご飯はやっぱり食べなかったけど、水が飲めただけでも良かったんじゃないかと、酷く安心した。
私は両親が帰ってくるまでレオと居て、水を飲んだことを伝えると、両親も安心していた。
その日も、いつも通りレオにおやすみを告げて自分の部屋のベッドに入った。
多分、23時過ぎたばかりの頃だったと思う。

数分もしないうちに、レオが吠えたのが聞こえた。
眠ってばかりで、食べてもなくて、昼間にようやく水を飲めたばかりのレオが、突然何度も吠えた。

傍で寝ていた母親の慌てる声がした。
私は飛び起きて、リビングに向かった。

レオが、苦しそうに吠えながら嘔吐していた。

みんなで急いで毛布を取り替えて、身体を温めるように何度も撫でて。
時折痙攣する身体を、一生懸命擦りながら、レオ、レオ、と呼びかけた。

その時が来たんだと悟った。
眠ってばかりのレオが突然吠えたのは、家族に最期を伝えるためだと思った。

吠えることを辞めて、身体の痙攣も収まって。
落ち着いてきたと同時に、呼吸がどんどん浅く速くなっていった。

もういいよ、頑張らなくていいよ、辛いなら眠っていいんだよ。

父親がそう語り掛けたのを聞いて、レオは息を引き取った。

23時53分。
18歳と26日を生きた家族が、天国へ旅立った。
目の前で誰かが生涯を閉じる瞬間を見るのは初めてで、涙が止まらなかった。

母親は声をあげて泣いたし、父親が泣くところを私は初めて見た。
弟はその夜県外にいて、最期の瞬間には立ち会えなかった。
両親は、弟が帰ってくるまでは苦しくて待てなかったのかもねと言っていたが、私はレオが最期の姿を弟には見せたくなかったんじゃないかと思う。
だってレオは、弟がサンタクロースに願って贈られたクリスマスプレゼントだから。
大切なプレゼントがなくなる瞬間を、弟には見せたくなくて、弟が居ない夜を選んだんじゃないかと思うんだ。

翌日、帰宅した弟は、永眠してしまったレオと2人きりで何かを語りかけていた。
何を話していたのかは聞かなかった。

大好きだった毛布に包まれたレオの傍に、家族みんなでお花を手向けた。
一人一人が手紙を書いて棺の中に入れた。
大好きだったおやつも、いつも食べたそうに眺めていたチョコレートも入れた。
元気に走り回っていた頃の首輪もリードも一緒に入れた。

秋晴れの今日、無事に火葬が終わり、供養された。
車に乗せられて火葬場へ向かうレオの姿を見ても、やっぱり涙が止まらなかった。
最後の最後に撫でたレオの身体は冷たくなってしまっていたけれど、クリーム色の毛はフワフワしていた。


家の中にレオが居ない、初めての夜。
いつものようにおやすみを言おうとして、毛布があった場所を見てしまい、そこにレオが居ないことに涙が出る。
こうしてこの文書を書きながらも、涙が出る。きっとしばらくは、夜が来る度に私は泣いてしまうのだと思う。

だけど、泣いていたらレオは天国に行けないかもしれない。
だって家族の誰かが泣いていたら、傍まで来てお尻をくっつけてくるから。
ちゃんと笑って過ごしてないと、天国まで走っていけないかもしれない。
だから、出来るだけ、泣かないようにしなきゃいけないよね。


レオ。
レオが最後に吠えた時ね、お腹の中の赤ちゃんが、びっくりするくらい動いてたんだよ。
初めて聞く声だったはずなのに、家族の声だって分かったのかな。
レオにも産まれてくる子にあって欲しかったのにな。
レオと同じ、男の子なんだよ。
あと2ヶ月もしないうちに、会えたのにな。
もしかして、場所を譲ってくれたのかな。
レオのケージが無くなって、レオの毛布か無くなって、レオのオムツやおやつが無くなって、寂しくなってしまった空間は、産まれてくる子のための布団やオムツを置くための空間として空けてくれたのかな。

レオ、レオは幸せだったのかな。

きっと最後の方は辛かっただろうけどさ。
すごく苦しい日もあっただろうけどさ。

昨年末にはもう長くないかもって言われてたのに、それから10ヶ月も頑張って生きてくれたのは、私が里帰りしてくるのを待っててくれたんじゃないかって、都合のいいこと思っちゃうよ。
年末に、結婚することになったよってレオに伝えたからさ。
夫がどんな人か見定めて、里帰りするのを待って、大きくなったお腹を見て、逆子が治ったっていうのを聞いて、ようやく安心出来たのかななんて思う。
末っ子のくせに、我が家の長寿だからね。

レオ、レオは幸せだったのかな。
私は幸せだったよ。
レオが家族になってくれて。
最期の時間をそばに居させてくれて。

たくさん、たくさん、ありがとう。
またいつか、天国で会ったら、一緒に遊ぼうね。
まだまだ夜が来る度にみんなが涙を流してるけど、いつかちゃんと笑って過ごすから。
安心してね。

レオと家族になれてよかった。

どうか安らかに。

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