私が結婚に至るまで
長く付き合っている人がいた。
その時はお互いに実家暮らしで。
付き合って2年が経つ頃、私は実家を出て一人暮らしを始めた。
程なくして、彼が私の家の合鍵を持つようになった。所謂、半同棲的な生活が始まったのだ。
そんな生活が1年経った頃、私たちは別れた。
つまるところ、離れてお互いが別々の家で暮らしていた頃は上手くいっていた交際が、同じ部屋で朝も昼も夜も、何日も共にするようになって上手くいかなくなったのだ。
別々に暮らしていた頃は無かった意見の不一致や、言い争い、些細な喧嘩や価値観の違いがどんどん増えていったからだ。
何年も付き合っておいて、別れることもあるんだなぁとぼんやりと思った。
きっと、恋人としての相性は良かったけれど、夫婦になるには相性が悪かったのだ。
否、もしかしたら。
私は他人と同じ家で暮らすという生活が向いていないのかもしれない。
私の結婚願望が無くなった瞬間だった。
その頃から、職場の先輩や学生時代の友人の結婚式に招待されることが増えた。
多い時は、1年で6回も呼ばれたことがある。
御祝儀貧乏になると泣きながらも、それでも招待されたら喜んで参加した。
単純に、楽しかった。
ヘリコプターで登場する夫婦がいたり、プロジェクションマッピングで会場を彩る夫婦がいたり、自分たちでウエディングケーキを作った夫婦がいたり、新郎が新婦にサプライズでプレゼントする夫婦がいたり。
「結婚式」と言ってしまえば一括りに出来るものが、夫婦によってこんなにも様々に違ってくるのかと、面白かった。
結婚願望は皆無だったが、少しだけ、結婚式をやってみたいなんていう気持ちになった。
結婚せずに結婚式なんてありえないなと、自分で自分を笑ったけれど。
結婚と恋愛は別物。
そう割り切って生活するようになった私は、地元を離れた。
田舎すぎる地元は、良くも悪くも狭い。
あの子が結婚したらしい、あの子が子供を産んだらしい。
両親がどこからか仕入れてきた話を、定期的に聞かされる日々。
分かっていた。
両親が、私の結婚を望んでいること。
けれど自分には結婚が向いていないと痛いほど分かっていた私は、そのプレッシャーから逃れるためにと、転職して都会へと引越したのだ。
そうして見た世界は広かった。
悠々自適に生活する人、仕事に情熱を燃やす人、趣味に生き甲斐を見出す人。
人は、一人でも生きていけるのだと知った。
そんな“カッコイイ女性”になりたくて、新しく始めた仕事に打ち込み、色々な場に出向き人脈を広げ、ダイエットしてみたり、部屋のインテリアにこだわったりなんかして。
楽しい生活を送り始めていた私は、とある男性と連絡先を交換することになる。
それが、今の夫だ。
出会いは職場の飲み会。
たまたま席が隣になって、なんとなく顔と名前を覚えて。それから4ヶ月ほど経ったある日、共通の同僚を通して連絡先を交換した。
その時はまさか付き合うなんて思ってもみなかった相手だった。
馴れ初めは割愛するが、それから2ヶ月弱で恋人同士という関係になり、付き合って半年が経った頃に同棲の話が出た。
私が住んでいたアパートの更新が半年後に迫っていた。
急遽決まった転職と引越しで、ろくに吟味もせずに選んだアパートだったので、家賃と駅からの距離に不便さを感じていた。
更新料を払うくらいなら引越そうかと考えていると、彼に話したのがキッカケ。
「俺もあと半年で更新だから、同じタイミングだし一緒に住む?」
同棲の提案者は彼だった。
私は、正直乗り気じゃなかった。
付き合って半年、なんて、まだまだ楽しくて当たり前の時期。
これからどうなっていくか分からない上に、私には結婚願望が無い。
そんな状態で、果たして同棲などして良いものか。
「やってみないと分からないし、ダメなら辞めればいいよ。俺、転勤族だし、どんなに長くてもあと4年すれば転勤だから、時間が経てば終わりは来るからさ」
忘れもしない、近所のドトールで彼が言った言葉だ。
楽観的な人だなぁと思った。
でも、その重々しくない考え方が好ましかった。
私はとりあえず今のアパートの合鍵を彼に渡し、週に3日程度、泊まりに来るという生活を始めた。
今思えば、私の【結婚準備】は、ここから始まっていたのだ。
結婚の、3年半前である。
彼が泊まりに来る日が増えて、意外と平気な自分に気付いて、同棲の話が徐々に本格的になってきた。
譲れない物件の条件は何か、職場までの通勤時間はどうか、家賃の上限はいくらにするか。
なんとなく、希望の物件が絞られてきた頃。
「ご両親に挨拶するわ」
同棲前にすることリストを作っている時に、彼が不意にそう言った。
「え、いいよ、そんなの」
「良くないよ。女の子の親は心配するでしょ」
「付き合ってる人がいることは知ってるし」
「それとこれとは別」
「でも、住んでるとこ遠いし」
「後々のことも考えなきゃ」
家電の手配、引越し業者の予約、初期費用の折半、などと書いていたリストの一番下に、両親への挨拶と許可取りと書き足した。
無論、私側だけというのは居心地が悪かったので、私も彼の両親へ挨拶することになった。
お互いの両親への挨拶を終え、同棲の許可をいただき、付き合って1年の節目に同棲を始めた。
大きめのベッドとソファを買い足して、広くなった部屋は居心地がよかった。
けれど、同棲1年目は色々としんどかった。
平日、私が家を出る時間には彼はまだ寝ている。私は20時頃に帰宅して、夕食を食べたりお風呂に入ったりと一人の時間を過ごし、彼は仕事を終えて25時頃に帰宅してくる。
繁忙期には彼は週の半分を職場に泊まり込んで過ごすため、顔を合わさない日もある。
だから平日は良かった。
でも、休日は当たり前だが家にいる。
予定がなければ家で過ごしたい彼と、予定がなくとも出歩きたい私。
彼が家でのんびりしていると、なんとなく出掛けにくかった。
昼ごはんは作っていった方がいいのだろうか、夜ご飯は帰ってきて作った方がいいのだろうか、なんて気を遣っては疲れる日々。
それが徐々に平日の生活にも響き始め、帰ってくるのを待った方が良いのか、先に寝ていた方が気を遣わせないのか、今日は職場に泊まるのか、帰ってくるのか。
気にして、気にして、気にしまくって、私は勝手に疲れ切っていた。
同棲開始から1年。
私はある選択を迫られていた。
職場の契約更新だ。
今の職場で今の仕事を、もう1年続けるか。
新しい職場に変わって、新しい仕事を3年契約で始めるか。
職場を変えるなら、もちろん住む場所も変わる。
同棲解消になるのだ。
辞めるなら辞めてもいい。
彼が言った言葉は、まだ残っていた。
「来年、悩んでるんだけど…」
仕事の更新の話を、私は彼にした。
同棲生活がしんどくなってきていることも。
「好きなようにしたら良いのに」
突き放したような彼の言葉に、最初は多少なりともショックを受けた。
でも、真意は違った。
同じ家に住んでるからといって、生活リズム全てを合わせる必要は無い。
眠たければ寝ればいいし、喋りたければ起きて待っててくれればいい。
俺も話したいことがある時は、起こしてでも寝室まで話しかけに行くでしょ?
それに俺は子供じゃないんだから、自分の衣食住の管理くらいできる。
確かに今は頼りすぎてるところがあると思うけど、作りたくない時はご飯作らなくていいよ。
ランチでもディナーでも、友達と約束したなら行ってこればいい。
俺は俺で自分の時間を過ごすから。
遊びに行ってもいい?って確認じゃなくて、遊びに行ってくる!って報告でいいんだよ。
ずっと一緒に居ることが付き合うってことじゃないでしょ、ずっと想い合ってることが付き合うってことだよ。
一人の時間は、お互いに必要な物だと思う。
だから、好きなようにしたら良い。
彼はそう言った。
一人の時間が好きだ。
一人の時間が無くてはならない。
だから他人と暮らすのは無理で、結婚なんて向いてないと思ってた。
だけど、他人と暮らすことで、一人の時間を無くしていたのは、他でもない自分自身だったことに気付かされた。
結局、その直後にコロナが流行り始めたこともあり、転職活動は難しいだろうと考えて、私は同じ仕事の契約を1年更新した。
同棲生活も、1年追加となった。
結婚の、2年前である。
同棲2年目になって、私の“しんどい”は徐々に無くなっていった。
コロナのせいでテレワーク勤務が増え、前以上に2人が同じ部屋で過ごす時間が増えたにも関わらず、だ。
同じ部屋にいて、同じソファに座っているのに、別々のことをしているのが気にならなくなった。
休みの日、起きたい時間に勝手に起きるようになった。
タイムツリーを導入して、お互い外食や外出の予定を予め共有することによって買い物など計画がしやすくなった。
相手に合わせる生活じゃなくなった。
友人と出かけた先で、彼の好きそうな物があったら買って帰ったり。
好きそうな店を見つけたら、今度一緒に行こうと誘ってみたり。
逆も同じで、彼はよく、出掛けた日に私へのお土産を買って帰ってくる。
これが、ずっと想い合ってるってことかと、彼の言葉を噛み締めたりした。
それから半年が経った頃、私の中で本格的な結婚準備が始まる。
彼のご両親が、アパートに遊びに来たのだ。
冠婚葬祭で前泊で近くまで来ていて、夜は時間があるから一緒に食事でも、とのことだった。
同棲の挨拶ぶりに会うので、少し緊張していた。
「結婚とか考えてるの?」
食事の席で、私はお義母さんにそう聞かれた。
正直、その頃は全然考えてなかったのだが、もういい歳の大人が、1年半同棲していて「結婚は考えてません」と答えるのも如何なものかと思い「まぁ、そうですね」なんて当たり障りなく笑って返した。
いつ頃とか決めてるの?という問いかけには、彼が「色々俺たちなりに考えてるから、しばらく放っておいて」と返した。
俺たちなりにというのは、その場しのぎの回答だったと思う。
けれど私は、いい加減、そういう話もするべきなんだろうなと思った。
我が子が結婚するのかどうか、気になってるのは女親だけでは無いのだと知ったからだ。
同棲を始めた時、家賃や水道光熱費の引き落とし用に、共同口座を作った。
そこに毎月、お互い同額ずつ入金して、生活費に充てていた。
本当に生活費であって、貯金などはしていなかった。
毎月、入れた分だけ使う。そんな感じ。
「あと半年で、アパート更新だよね」
「そっか、そうだね」
「転勤ありそう?」
「今のところ、まだ無さそう」
「じゃあアパートは更新かな」
「俺的にはそれがいいんだけど」
「私もコロナでまだ転職厳しそうだし」
「そうだよね」
「更新料、少しずつ貯めとこうか」
「それがいいね」
こうして、毎月の入金額を、お互いに3万円ずつ追加した。
1ヶ月で6万円が、貯金額となった。
更新料にしては多すぎる額だったが、お互いなんとなく、その後のことを考えなければいけないと思い始めていたんだと思う。
半年経って、アパートを更新した。
私も仕事の契約を更新し、彼も転勤の話は無く、相変わらずコロナが続く、付き合って3年を超えた頃。
私の後輩が、コロナで結婚式を延期した。
彼の同期もまた、コロナで結婚式を延期した。
「延期が続いてて、今は結婚式場も何年か先まで良い日は埋まっちゃってるんだって」
「そうなんだー」
「後輩も、記念日に挙げたかったけど、1年先は埋まってたから、もう日取りは諦めたみたい」
「妥協しないといけないのは辛いね」
「結婚式したいって思う?」
「俺?うん、俺は結婚式はちゃんとしたい」
これまで、なんとなく将来のことをかんがえたりはしたが、結婚について明確に話したことが無かった私たち。
私は、彼の真意を知りたくなった。
「式場見学に3件行くだけで、商品券貰えるイベントがあるんだけど」
それは、ゼクシィが行っているもので。
後輩が教えてくれた物だった。
「なにそれ、見せて」
私がダウンロードしていたアプリで、住んでいる地域の結婚式場を次々と見ていく彼。
やっぱり都会は数が多いなーとか、めちゃくちゃ綺麗なとこあるじゃん!とか。
意外とちゃんと詳細まで見ていることに驚いた。
男性ってもっと、結婚式に興味が無いものだとばかり思っていたからだ。
「結婚式ちゃんとしたいってことは、結婚願望もあるってこと?」
「そりゃそうだよ!俺、別に結婚式だけしたいわけじゃないよ笑」
「じゃあさ、理想の結婚ってある?」
そこで私は、初めて彼の結婚観を聞いた。
結婚式はしたいし、新婚旅行にも行きたい。
結婚式場は高級ホテルとかよりも自然いっぱいな感じがいい。
新婚旅行は出来れば海外がいい。
結婚早々お金で苦労したくないから、ある程度の貯金はしてからにしたい。
子供好きだから、授かれるなら子供は欲しい。
一人の時間もちゃんと確保したい。
マイホーム願望は無いけど、子供が小学生になる時には定住も考えるべきかとは思ってる。
転勤族だから、結婚のタイミングはやっぱり仕事との兼ね合いが大事になってくる。
次々と並べられる言葉に、圧倒された。
だって、私より全然具体的で、随分と明確で、それでいて先のことまで見通していたから。
そうして婚約すらしていない私たちは、美味しい料理の試食と商品券を目当てに、式場見学に行った。
ちなみに3件のうち、2件は彼の希望した式場だった。
式場の人達は、婚約していない私たちにも親切丁寧に対応してくれた。
行ってよかったなと思うのは、ゲストハウス型、専門式場型、ホテル型の3種類を見比べることが出来たこと。
彼が言っていた“自然いっぱいの式場”が、どんな雰囲気なのか私にも伝わったこと。
その雰囲気を、私も同じように気に入ったこと。
お互いが何人程度呼ぶつもりなのか改めて把握出来たこと。
だいたいの費用が把握出来たこと。
結婚式の準備には、どれくらいの期間が必要で、どんな事を決めなければいけないか知れたこと。
とにかく、たくさんあった。
結婚の、1年半前のことだった。
結婚したら〜とか、結婚するときは〜とか、式場見学以降、そういう話をすることがグンと増えた。
結婚式の費用を実際に見たこともあり、お金の使い道も考えるようになった。
家具家電も、その場しのぎじゃなくて長く使えるものにお金をかけたり。
今までは月々の給料からしか入金していなかった共同口座に、ボーナスからも貯金額として一定のお金を入れたり。
コロナの給付金も、お互い全て貯金に回した。
でも、実際にいつ結婚しようなんて話が出ているわけではなかった。
“いつか結婚する日のために”という生活は、気持ちを不安定にさせることも多々あった。
でも、その度に思う。
あ、私、結婚したいって思ってるんだ。
あれだけ結婚願望が無くて、一人で生きていく楽しさを知った私が、今は結婚したいと思ってるんだ。
その感覚は不思議だった。
きっと私は、単に“結婚”したいのでは無く、彼との生活を続けたいと思い始めていたのだろう。
そこでまた一つ、決心をする。
所謂、ブライダルチェックだ。
毎年、婦人科検診はちゃんと受診していた。
そして毎年、結果に何かしらの注意項目があった。
前年の検診では「生理はちゃんと来ているようですが、排卵が起こってませんね。これでは妊娠は難しいでしょう」と言われていたのだ。
彼の結婚観について聞いた時、子供が好きで、授かれるなら欲しいと言っていたのが、私はずっと心に引っかかっていた。
子供が出来にくい身体であることを、これまで一度も悲観的に思ったことは無かったのに、その時初めて問題視した。
その年の婦人科検診で、同じように妊娠しづらい身体だという結果が出て、私は初めて医者に相談した。
もし子供を作りたいとなれば、不妊治療しかないのでしょうか、と。
私の体の場合、ホルモンバランスが他人より崩れやすいことが原因だから、食生活を見直したり、サプリを飲んだり、ストレスを溜めない生活をすることで改善の余地はあるだろうとのことだった。
私は初めて、自分の身体のことを彼に話した。
彼は黙って聞いてきたけれど、最後に笑って「じゃあさ、子供授からなかったらさ、俺、ゴールデンレトリバー飼いたいんだけどいい?室内で、子供みたいに育てたいんだけど、いい?」と言った。
今も、それが彼の本音なのか慰めなのかは分からない。
でも、私は酷く安心した。
それと同時に、私はこの人の、こういう自由で幅広い発想力が好ましいんだと痛感した。
彼と過ごしていくことで、私は新しいことをたくさん知ったし、新しい経験をたくさんした。
人生の選択の幅が増えた。
彼が見てきた世界は、彼が見ている未来は、私の物の何倍も広くて大きかった。
結婚の、1年前のことだった。
コロナは増えたり減ったりを繰り返し、お互いそれなりに自由に暮らしていた、秋のことだった。
「次の春、転勤かも」
彼が私にそう告げた。
彼の部署では、毎年10月と4月に人事異動がある。
10月の異動が終わればすぐまた、4月の異動者の選定が始まる。
その、始まったであろう時だった。
次の4月に、上席から3人、中堅から1人、若手から3人を異動させることで決まったという。
若手3人の異動というのは、昇級も兼ねているそうだ。
つまり、若手枠から中堅枠に上がるための人事異動。
そうなると、若手と言っても、ある程度の経験年数と、ある程度の年令に達している者でないと人事異動の対象にはならない。
彼の部署で、その対象に含まれる若手というのが4人いた。その中に彼も入っていた。
つまりは4人のうちの3人が転勤となる。確率で言うと75%だ。
「2月には正式発表があるからね」
決まったら言うねという彼に、私は「転勤出来たらいいね」と返した。
転勤は、彼が望んでいたことだし、昇級するというのは誇らしいことだ。
だから私はそう言った。
でも、急に突きつけられた現実に、いよいよかと身構えもした。
同棲を始める時、長くても4年すれば転勤だから、終わりは来るからさと、彼は言った。
その終わりが近付いてきたのだ。
私は今度こそ、選択しなければならない。
今の仕事をまた1年更新して続けるのか、新しい職場に転勤するのか。
どちらにせよ、2人で払っていた家賃を1人で払っていくのは厳しいから、引越しはしなければならない。
仕事の契約を更新する場合、正月休み明けには上司にその旨を伝えなければならない決まりだった。
だから、私は彼の転勤が正式に決まる前に選択しなければならなかったのだ。
「もし転勤になったとして、私も一人暮らし用のアパートに引っ越そうと思うんだけど、家具家電はどうしようか」
彼にそう相談したら、それはその時に考えようと言われて終わった。
その時っていつだろうと、少しモヤモヤしながら、私はとりあえず一人暮らし用のアパートを探し始めた。
12月の終わりに、実家に帰らなければならない用事があったので、私としてはそれまでにある程度のことを決めてしまいたかった。
結婚の、半年前のことだ。
随分と長くなったので、ここで軽くまとめてみる。
結婚5年前、一人で生きると決めて地元を離れた。
結婚4年前、彼と交際を始めた。
結婚3年半前、他人と暮らす練習を始めた。
結婚3年前、同棲を開始。
結婚2年前、同棲生活が苦しくなる。
結婚1年半前、式場見学を機に結婚を意識し始める。
結婚1年前、ブライダルチェックを受ける。
結婚半年前、遠距離恋愛の可能性が浮上する。
交際は4年前から、気持ち的な結婚準備は3年半前から、実質的な結婚準備は1年半前から行っていた。
が、未だ、婚約もしていない。
言ってしまえば、幼稚園児が「大きくなったら結婚する」と言っているのと何ら変わらない。
私はそう思っていた。
そして迎えた2021年のクリスマス。
私は、彼にプロポーズされた。
彼は彼で、私に気付かれないように色々なことを進めてくれていたのだ。
私が年明けには職場に契約の話をしなければいけないことを踏まえて、転勤なら転勤で早めに決めてもらわなければ困るのだと、上司に掛け合ってくれていたのだ。
そうして、本来なら2月に正式発表されるはずの人事異動の話を、特例でと12月中旬に内定情報として伝えてくれていた。
後から聞いた話、人事の確定は12月初旬が締切のため、上司としても決まっていることを早めに伝えただけだと笑っていたが。
それでも、その2ヶ月が私には大きな意味を持っていた。
こうして私は、恋人から婚約者になった。
結婚の、僅か1ヶ月半前である。
結婚式のため、授かるかもしれない子供のため、今後はもっとしっかり貯金をする必要がある。
そのために、転勤先では家賃がすごく安く済む社宅に入るのがいいと思う。
でも、世帯用の社宅に入るには、家族である必要がある。
だから、3/31までには夫婦になっておかなければならない。
そのために、早いけど、今年度中には入籍したいと思ってる。
そして出来れば、付き合って4年の記念日に入籍したい。
プロポーズを受けたあと、彼が話してくれたのは、やはり先々を見通した、ちゃんとした計画。
転勤先だって、子育てすることになった時に、どちらかの実家が近い方がいいからと、お互いの地元を希望してくれていたらしい。私との交際を始めた4年前から、ずっと。
これも、後から上司に聞いた話だ。
頼もしい彼の、具体的で計画的な将来設計を伝えると、私の両親もすぐに納得して了承してくれた。
コロナの関係で結婚の挨拶がオンラインになることも、結納が入籍の後になることも、事前に話すと受け入れてくれた。
そしてなにより、父親が「同棲する前にわざわざ実家まで挨拶にくるような子なんだから、任せて大丈夫だろうなと思ってたよ」と、何年も前の彼の行動を褒めてくれたのが驚きだった。
こうして、私たちは恋人から夫婦になった。
有難いことに、結婚から2ヶ月半で妊娠も発覚した。
婚約から入籍まで1ヶ月半という早すぎる結婚の裏には、私の3年半の準備と、彼の4年に渡る計画がある。
3年半という期間を与えてくれたおかげで、私は他人と暮らすことにストレスを感じなくなったし、ここ数年、言い争いどころか、彼に対して不満を抱いたことすら無い気がする。
それくらい、何も、悪い記憶が思い出せない。
そして彼が4年かけて計画してくれたおかげで、妊娠していても困らないくらい自由な生活を送ることが出来ている。
つわりが酷かった時には、お義母さんやお義父さんがご飯を用意してくれたり、義兄弟の奥さんたちが妊娠中に良い物をプレゼントしてくれたり。
義理であっても実家が近いというのは、こんなにも助かる物なのかと日々痛感している。
そしてまた、計画的な夫は、子供が産まれたあとのあれこれも、すでに職場と相談して進めてくれているらしい。
「まだ行けてない新婚旅行も、コロナが落ち着いたら海外行こうね!」
そう笑顔で話す夫の言葉を、私は笑顔で聞くのであった。