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変化する日常を愛おしく思えたら

毎日に、これといった不満はなかった。

朝、携帯のアラームで起きる。

部屋を出て階段を降りると、母親が朝ごはんと弁当を作っている。
おはようと声をかけ、洗面所に向かう。
顔を洗い、うがいをし、寝癖を直してリビングに戻れば、朝ごはんが用意されている。
テレビをつけ、ニュースを流し見ながら、コーヒーとグラノーラとヨーグルトを胃に入れて。
天気予報を見終わったら、食器を片付けて歯を磨く。
メガネを外し、コンタクトを入れて、昨夜はのうちに用意しておいた服に着替え、化粧をする。
髪を整えて、弁当を受け取って、行ってきますと家を出る。

家から最寄りの駅までは、自転車で約10分。
同じ時間の、同じ車両に乗り込むと、周りはみんな、見慣れた顔。

6駅揺られて職場に向かう間は、ずっと、音楽を聴きながら本を読む。
駅に着いたら、本を片付け。
職場に着いたら、イヤホンを外し。
身分証をかざして入る。

朝イチはコーヒーとポットの準備。
午前中は勤務の管理や郵便の処理。
昼は同僚と弁当を食べて。
午後は頼まれた仕事をしつつ、時々コーヒーを飲んで、時々電話に出て、時々他の階の人と話して。

時間が来たら、また、電車に揺られて家に帰る。
その時もやっぱり、音楽と本。

家に着いたら、ただいまと告げて。
手を洗って、弁当箱を洗って、部屋着に着替えて、夕飯の手伝い。

出来上がった頃に帰ってくる父親と、3人で夕食。
片付けを手伝い、食後のコーヒーを飲み終えた頃に、風呂に入る順番を決める。

ドラマやバラエティをぼんやりと見て、眠くなってきたらおやすみを告げて、自分の部屋へ。
明日着る服を選んで、新しいハンカチを出して、ベットに入って就寝。

そんな日々を、週に5日。
約7年間続けてきた。

不満はなかった。
問題もなかった。

ただ、ほんの少しだけ、不安だった。

穏やかすぎるくらい穏やかな日々。

それはまるで微温湯のようで。
そこに終わりというものはなくて。

変えようと思わなければ、ずっと続いていくものだった。

それが、少し不安だった。

このままでいいのか。

この日々を続けていていいのか。

ずっと変わらないことは、美しい。

現状維持にも、努力が必要だ。

けれど、終わりのない、終点の見えない日々を繰り返すことを、私は美しいと思えなくなってしまっていた。

現状を、維持するのではなく、打破する方法を探した。
その結果として選んだのが、仕事も住む場所も関わる人も、全て一気に変えてしまうことだった。

反対はされた。

止められもした。

周りに迷惑だってかけた。

それでも、現状から抜け出したかった。

否、そこまでのことをして、後戻り出来ない状態に自分を追い込みたかったのかもしれない。

不満はない。
変わらなければいけない理由もない。
でも、僅かな不安から目を背け、この微温湯に浸かり続けている生活を良しとしてしまったら、いつの日か自分は「変わろうとしなかった自分」を後悔する日がくるような気がしていた。

今思えば、やりすぎだったかもしれない。

仕事を辞め、転職し。
転職先として、地元から遠く離れた地を選び。
実家を出て、アパートを借りて。
家具も家電もすべて買い直し。
家族以外、3人にしか告げずに飛び出した。

日々は、劇的に変わった。

新しい場所、新しい人、新しい仕事、新しい日常。

目まぐるしく過ぎていく毎日を過ごすことは、微温湯に使っていた頃に感じていた以上の不安に襲われた。

これで良かったのか。
選んだ道は正しかったのか。
これからどうなるのか。
何処へ向かえばいいのか。
どうすることが、正解なのか。

変わろうとしなければ、何も変わらない。

あれから、1年半が経った。

今も相変わらず、日々は目まぐるしい。
新しいことばかりの毎日は、やはりどこか不安を兼ね備えている。

けれど、それが愛おしいと思えるようになった。

新しい世界の中に、穏やかな居場所が出来た。

新しい出会いの中に、温かなものがあった。

不安の中に、そういうものを見い出せる今の日々が、刺激的で美しいと思う。

それと同時に、微温湯のようだと思っていた過去の日々も、安心できるかけがえのない存在だと気付いた。

変わろうと思う。

私は、変わっていきたいと思う。

微温湯のような日常から逃げ出すのではなく。
あんな穏やかな毎日を、自らの手で作り出すために。
私は、私の、愛すべき日々を過ごしたいと思う。

今はまだ、悩み、躊躇い、迷っているけれど。
それすらも大切な日々なのだ。

今、私は、変化する日常を愛おしいと思う。

model:halu photo:ひよこ

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