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ハロー、サマー。

夏が嫌いだ。
恋に落ちた、夏が嫌いだ。
キミを愛してしまった、夏が、大嫌いだ。

夏の暑さにやられていたのかもしれないと思う。

両手と両足の指の数を足しても足りない年数を生きてきたワタシは、もうとっくに大人である。良くも悪くも様々な経験を積み重ねてきた中で、いわゆる恋愛と呼ばれる物も何度か経験してきた。

まだ幼かった中学生の頃に映画デートをしたあの人。高校生活の大半を共にしたあの人。会える日を数えて過ごした遠距離のあの人。仕事の休みが合わずに夜ばかり顔を合わせていたあの人。

今となっては終わってしまったそれらの恋は、振り返れば、どれも夏が始まりのキッカケだった。どの人のこともそれなりにちゃんと好きだったと思う。けれどどこか本気になり切れなかったような気もしている。終わった恋はそう見えるだけかもしれないと考えていたけれど、そもそも始まりの瞬間さえも、本気だったのか怪しい自分に気付いた時、恋は全て夏の暑さが見せる幻覚なんじゃないかと思った。

だから、キミとの始まりだって、夏が見せた幻なんだと思っていた。暑さが起こした気の迷いだと。だって、ワタシがキミを好きになることなんて有り得ないと思っていたのだから。

でも、ワタシはキミを好きになった。
気付けばキミのことを考える日々が続いた。
それを楽しいと思っている自分に気付いた。

あの夏、ワタシはキミに、恋をしていた。

その年の夏は、とても長かった。木々が赤く色付き始めても、ちらちらと雪が舞っていても、桜がそこら中を淡く染めても、ワタシの世界は夏のままだった。ずっと、ずっと、夏が終わらなかった。ずっと、ずっと、キミばかりだった。

何をするにもキミが頭のどこかにいて、それが不思議と心地よくて。夏の暑さにやられた思考回路は、時にワタシを特別にした。ワタシの中でキミが特別であるのと同じように、キミの中でもワタシが特別であると、そう思わせた。

そしてあの夏、気付いた。
ただ、現実から目を逸らしているだけの自分に。

願ってしまったのだ。いけないと分かっていたくせに、夏の暑さのせいにして、幻に躍らされているだけだと分かっていたのに。

キミが欲しい。

ワタシは、そう思ってしまったのだ。

分かるかい、この絶望が。
キミが欲しいと願ってしまったワタシの、しかし吐き出すことは許されない、重く苦しい感情が。
恋に落ちたあの夏からの日々は、あんなにも熱く眩しく輝いていたのに、愛してしまったのだと理解した瞬間、あの夏を心から憎むこととなった。

あの夏さえなければ。
キミにさえ出会わなければ。
恋にさえ落ちなければ。

夏がきた。
キミに出会ってから、何度目かの夏がきた。
ワタシはキミと、サヨナラすることを決めた。
全てを夏のせいにして、命短いその季節に、全てを置き去りにしようと決めた。

サヨナラの代わりに告げた言葉は、アイシテルだった。

零れてしまったその五文字を、夏の暑さは溶かしてくれなかった。ワタシの願いは涙と共に、太陽が照りつけて熱を帯びたアスファルトにぽたりと落ちた。

木にとまった蝉が鳴く。砂をさらう海水が波打つ。麦わら帽子を被った子供たちが笑う。青々と茂った木々が揺れる。太陽がワタシとキミを容赦なく照らす。

ゴメンネと告げたキミは、それでもワタシを抱きしめた。

苦しくて悔しくて哀しくて切なくて。
それでも、キミと触れたその全てが、真夏の果実のように甘かった。

きっと、もう、キミ以上に愛する人は現れない。

きっと、もう、キミ以上に誰かを愛せない。

ワタシをそんな風にした、夏が大嫌いだ。

夏の気配がする。
今年もまた、夏が来るよと世界が告げる。

蝉は鳴く。海は波打つ。子供たちは笑い、木々は揺れる。太陽は、容赦なくワタシを照らし、夏が来ると告げる。

けれど、隣にキミはいない。

人間とは、随分と薄情な生き物である。

キミが隣にいない夏を目の前にして、ワタシはそう思った。

あんなに愛したキミと、あんなに重く苦しい決別をした、あの夏。キミを手放した代わりに、ワタシはそれでもまた夏の暑さにやられていたらしい。

今、ワタシの隣に、夏がいる。

夏が嫌いだ。
恋に落ちた、夏が嫌いだ。
キミを愛してしまった、夏が、大嫌いだ。

でももし、今から始まる暑い季節が、キミを好きだった日々のように、キミじゃない人との愛とか恋とかで輝いて見えたら、好きになってもいいだろうか。キミ以上なんてないと嘆いていた自分とサヨナラをして、キミじゃない人の隣にいる自分を、許してもいいだろうか。

キミ以外を好きになってもいいだろうか。

キミがいない日々に慣れてもいいだろうか。

あの甘さを忘れてもいいだろうか。

現実に幸せを感じてもいいだろうか。

夏を、愛してもいいだろうか。

好きすぎてどうしようもないことを、なんて言うか知ってるかと、夏が言うから、知らないと答えた。
そんなワタシに、夏は少しだけ笑って、愛してると言った。

その瞬間、微かに甘い香りがした。
ワタシはその甘さを、幸せと呼ぶことを、ずっと前から知っていた。

夏が嫌いだ。
恋に落ちた、夏が嫌いだ。
キミを愛してしまった、夏が、大嫌いだ。

けれどきっと、もうすぐワタシは、夏を好きになる。

「ハロー、サマー。」

photo:珈琲さん model:halu

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