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依存と共存の境界線

近頃、君といる時の自分が嫌いだ。


君が恋人になった日から、私は君のために生きていたように思う。
君に喜んで欲しくて。君の支えになりたくて。
君のためにと、生きていた。


好きな人のために生きることは楽しい。
新しい服を着た時に似合うねと言われることも、
髪型やネイルの変化に気付いてくれることも、
手料理を美味しいと食べてくれることも、
差し入れにお礼のメッセージが来ることも、
熱を出した時に看病することも、
君のためになっていると思えば、全てが楽しかった。

それは、今も変わらない。
変わらないはずなのに、どうにも苦しい。


苦しいと、思った自分が、嫌いだと思った。


付き合い始めた頃はそうではなかった。
けれど、二人の時間を重ね、お互いの家を行き来し、当たり前のように泊まるようになり、ついに同棲を始めた今。
君といる時の自分が、どうしようもなく嫌いになってしまうのだ。

何が私をそうさせているのか、はっきりとは分からない。
ただ、なんとなく思うのは、君といる時の自分すべてを嫌いなわけではないということ。
君といて、君に依存していると感じた瞬間、自分で自分に嫌気がさすのだ。


ほんの二年前まで、私の生活に君はいなかった。
ちょっとしたことで出会った君は、ある時から恋人になり、ある時から日常となった。

どうやら私は知らないうちに、君に依存していたらしい。

このままじゃ駄目だと、一度君を突き放してみた。
あからさまな拒絶や、黙秘し続ける態度は、きっと君を困惑させ、もしかしたら苛立たせていただろう。
けれどそうでもして君を日常から切り離さなければ、苦しくて叫びだしそうだったのだ。


干渉しない、とか。
深く踏み込まないだとか、合わせないだとか。
君に無関心であるかのように、同じ家にいながらも別々の生活をし、自分は自分の都合で、自分の時間で、自分のためだけに動いてみた。

苦しさは無くなった。
君に依存している大嫌いな自分はどこかへ行った。

代わりに、寂しくなった。


自由にすることと、無関心であることは違う。
干渉しないことと、触れないことは違う。
踏み込まないことと、見ぬ振りすることは違う。


君に依存はしたくない。
でも、君と共存していたい。
その境界線は恐ろしく曖昧で難しい。

君のことが好きだ。
だから君といる時の自分を好きになりたい。
そして君にも私を好きでいて欲しいし、
私といる君自身のことも好きになって欲しい。

そのために、私は探している。
「依存」と「共存」境界線を。

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