昔の自分
時々、昔の自分を想って可哀想で涙が出てきます。
それは、妹を見ているときによく襲ってきます。
〇
なぜそんな気分になるのか、今は説明できます。
単純に、羨ましいからです。
〇
わたしが精神的に問題を抱えていた頃、
「誰もわかってくれない」
「誰も話を聞いてくれない」
「みんな嫌い」
というように、一部を全てと捉える、苦しい思い込みをしていました。今も少しあります。しかも、こういう言葉で意思表示をしても伝わらず、思い込みも強くなります。
単純に、冷静に説明すると、「わかってくれない」というのはわたしが話さなかったからで、「話を聞いてくれない」というのはわたしが話す能力も考える能力も弱くて話せなかったからで、たとえ話す機会が設けられても吐き出せない、話す機会を自分で作れない。それだけでした。実際は。
でも、そんな状態なのにわかってくれないとか話を聞いてくれないという気持ちになるということは、「わかってほしい」「話を聞いてほしい」という気持ちがあったからです。
それがよく表に出る妹を見ると、対称的な自分が思い出されてなんとも言えない悲しい気持ちになります。未来に進んだ分引き摺られてきた屍を抱き締めたい。
今でもあまり外に向かって意思表示する力はついていません。
みんなが理解してくれるとも話を聞いてくれるとも思っていません。諦めるのが一番よくないことだとはわかりますが、成功体験を積み重ねるしかないと思います。
病気の時に「治りたい」と思う気持ちがあるっていうのがわたしはすごいと思っていて、
それは自分が無かったからで、
なぜかというと、治ったら今よりももっと話を聞いてもらえなくなる、一人で生きていかなきゃいけない、という部分への恐怖です。
だから、治りたいから話す、治りたいから行動を起こす、というのがたとえ目的から外れていても、周りを困らせても、できるのが、わたしにはないから尊敬します。
わたしも、昔を想って泣くことがなくなればいいな。
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