政治の公約に本気の教育改革があがる
「スウェーデンやデンマークを視察すると社会の主人公を育てることを教育の重要な柱にしていることがわかる。日本でも子どもの主体性を育む教育に向かうべきだ。」
「日本の詰め込み式の教育方法は世界から遅れを取っている。日本は資源がない。教育には予算と人を注ぎ込む必要がある。いま、教育のあり方を問い直す時。」
宇都宮けんじさんの言葉です。
宇都宮さんのZOOM会議。隠れ教育費の負担というテーマでしたが最終的には、教育は質であり、投資をすべきという結論をお話しになられ、ほんとうにそうあってほしいと切に願いました。
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今の学校教育や受験事情にはなんともいえない徒労感を感じている。どんなに頑張っても報われない徒労間。子どもを支援する側の親がそうなのだから、子どもはもっと脱力しているだろう。
子どもは朝早く出て行ったきり夕方、いや夜7時頃まで戻らない。目を開けている間ずっと学校で過ごしてる。
子どもは年々覇気を失っている気がする。学校で何をして過ごしているのだろう。きっと面白くないんだろう。
学校の先生は、配布物の作成やクラブの顧問などに追われ(時間外手当はない)、消耗している様子で、文部省から多様な教育の方向性を示されても、取り組む時間はなさそうだしね。
ところで、学校のカリキュラムと受験制度は合っておらず、塾に行かざるを得ないので小学生の頃から都市部ではダブルスクールが当たり前になっている。
東京でトップ校を狙う中学受験生は、半年から1年ほど学校を休んで塾に専念するとも聞く。膨大な量の詰め込み教育。準備万端にしたい人は1年先取りして、塾で六年生を二回やってトップ校を狙うとか。職人的な訓練...
日本では、幼稚園や保育園では3、4時間、その後は7時間かそれ以上じっと座って板書型の教育を受ける。
少しずつ、文部省のお達しが浸透し始めて、小学校を中心にグループ活動が増えている様だが、本格的なディスカッションをする様な仕組みをもてるかどうかは教師の資質によるところが大きい様だった。
しかし高校生の今、うちの子の学校は受験のためにじっと座って話を聞く形式です。
確かハフポストの記事で...東京の名門私立中高一貫校に入学したお子さんは、ゆったりとした教育を受けられるだろうと思い、頑張って受験し合格したが、結局また受験のための詰め込み教育だったので、学校をやめ、イギリスの学校に入り直したという記事を読んだことがある。
その方はご両親に経済力があり、より良い選択をすることができたわけだが、そうして経済力があったとしても、その様な自由な人生を選ぶ事ができるお子さんは稀だろう。
しかし、必要なのはお金なんだろうか。勉強の形を面白くするのはちょっとした工夫があればいいのでは?実践的な受験に応じるなら、数冊の参考書や問題集と数冊のノートとペンがあればそれでいいのでは?
必要なのは今までのものを捨てて変化する勇気なんじゃないかという気がする。
ところで塾は____あるいは家勉(自宅の勉強)を週に数時間するだけで成績を上げてくるのは何故なのか。学校の授業は本当に必要なのだろうか。全く謎です。
子どもを育てて思うのは、公立も私立も既に教育が形骸化しているんじゃないかということ。びゅんびゅんゴマも、かけっこも、水泳も、英語も、国語も、数学も、学校でできるようになったものは何もない気がする。みんな専門家の指導や親の関わりで修練の時間を作ってできるようになった。
学校はもはやただ椅子に括り付けておけばいいという、教育する側の安心が主体になってる気がする。
ただ黙って聞いているだけで仕事ができる様になるのかと問いたい。
そして受験を乗り越えるために、実践的な事をやるために誰も望まないダブルスクールになる。
朝から晩まで学校で勉強し、帰ってからまた塾通い。Twitter民が罵声ばかりなのはきっとそのせい。自分を生きる事を許されていない。
塾に行かないにしても、自宅で勉強時間を作らなければならない。今時、親切な参考書は山の様にあり選び放題だから参考書をじっくりやる方が力はつくようだ。けれど十分な時間はない。
経済格差が教育格差を生む。確かに一理あるけれど、実は時間とモチベーションが作れるかどうかな気がする。
学校...いったい一日中学校に行ってるのにどうして家でも勉強しなければならないのだろう。
子どもが経験した学校ではどの先生も教科書を使わないプリント授業で、1学期で45リットル分のプリントが出る。サイズは全てバラバラなので整理も難しく全てゴミに。優秀な秘書だってあれを整理するには難儀するだろう。
一冊の教科書や参考書を舐めるように読むとかそういう事は皆無です。プリントは毎週授業前に配られるので予習も難しい。ファイルしないので復習することもない。気まぐれに先生の不安をカバーするために配られる色々なプリント。
趣味を深めて、読書をして、自分の方向性を探すとか、自分という人間を作るとか、そういう時間ももちろん与えられない。子どもの時間は奪われている。
ホームスクールにすればといっても、同世代に会いたくて結局普通の学校に通学することに。
そうこうするうちに、子どもはだんだんと自分が何を好み何を目指すのか曖昧になり、覇気を失っていくのではないだろうか。
東京に帰ろうと思って調べたところ、一部の私立と一部の公立高校は先進的な取り組みをするところもある様だったが、欧州や北欧などとは比べ物にならないでしょう。
世界には全く異なる価値観で作られる学びの形がたくさんある。
オルタナティブ教育を早くから(1990年代後半ごろでしょうか)研究してきた人達もたくさんいる。
あれからもう20年以上が経とうというのに、遅々として改革は進まない。子どもは結局新しい潮流を経験する事なく成人しそうです苦笑
教育の抜本的な改革をしよう、こどもに主権を、人権を教えるべきだ。スウェーデンやデンマークに学ぼうという政治家がとうとう登場です。宇都宮けんじ氏。ほんとうに驚きです。
そんな人が政治を担ってくれたら。この様な矛盾はきっと解決するでしょう。
宇都宮先生の思い切った改革のエネルギーと、人権への意識が今必要とされていると思います。人権意識が教育者側にないから、そして教育者の人権も無視されているから、うまく行かないのではないでしょうか。
(しかし不思議だ。恐ろしく高価な輸入物がとても好きな日本人なのにどうして教育は輸入されないのだろう。)