頭をよぎったのは二つのことだった。 一つは「木にひっかかったら助かる、そうでなければ下まで落ちる」。 そしてもう一つは、「ああ、こういうふうに死ぬのか」だった。 丹波篠山市にある筱見四十八滝には、８つの滝が始終流れている。それらの滝のひとつ、「大滝」がすぐそこに見えてくるところだった。 ９月２４日、雨上がりの登山中、僕は滑落した。 １３時を前にして空腹を感じ、体の力が少し抜けたところだった。一瞬のことだった。 急斜面で左足を滑らせ、そのまま谷底へ向かって体ごともって
豆腐を持って、走って、転んで、ぶちまけたことがある。小学一年生か二年生のときだ。 むかしむかし、豆腐屋のおっちゃんが軽トラで行商していた。夕方になるとラッパをパフパフーっと鳴らしてやってくる。音が近づいてくると、お母ちゃんから預かった100円玉を握りしめて玄関から飛び出していく。 グレーのベレー帽を被って紺の前掛けをしていたおっちゃんは、さっと豆腐をすくい上げ、そのまま手のひらの上でタテ・ヨコに包丁を入れて８つに角切りする。それをちょうど入る大きさの容器にするっと落とし込
レオ８年前の４月、飼っていた黒猫が息を引きとった。 生まれて間もないとき、古びたペットショップの狭いケージで偶然見つけた猫だった。ペットショップにいたけど保護ネコで、入れられたケージのなかで何匹かのネコと一緒に重なりあっていた。目が合った。弱々しく空中を掻いている。手を伸ばして抱きかかえると、小さな爪をＴシャツに引っかけて離れなかった。それから１７年間そばにいた。オス猫でレオと名付けた。 この世界に黒猫はたくさんいる。よく似たやつもいるし、そうでないのもいる。目の色や毛並み
