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『二千年と二十三年』著者:9月のワンピース
【二十三の記憶】
2023は色々あった。現状を受け入れたくなくて現実から目を背けていた。現実は悲惨だからね。みんなは世界のことを何も考えていないし、知ろうともしていないと強く思ってしまった。だって目の前の小さな事象ばかりを見て、肝心の本質を見ようとしていないもん。まるで自分さえ良ければ全てよしという価値観が当たり前のように。この強い気持ちは周囲への警告と言うよりもむしろ自己正当化に使っていたのかもしれない。本当は自分が1番世界のことを考えていなかった。世界を良くしていきたいという精神は大切。だけれども世界のことを考えるためには、まずは自分のことを考えなければならないと気づいたんだ。これは自己中心的な思考を持てという訳ではない。自分を愛せない者が周りの者を愛すことはできない。これが真理だと感じたね。こんなにも当たり前のことを気づくのに相当な時間と精神を使っちゃった。だけど意味がある時間だったと思う。いや、思いたいんだ。もっと早く気づきたかったと後悔の念を抱きつつも、後ろばかりを向いてはいけないと何度も言い聞かせよう。だって道は前に向かってるんだから。強すぎる正義感は危険だ。自己を破壊していまう。自己破壊は他者を破壊する行為と何ら変わらない。全ての人が同じ正義を持っている訳じゃない。正義と正義がぶつかった結果、世界はどのように変容していくのか、その複雑性を単純化しすぎてしまったよ。単純にも種類があるみたいだね。世界を変えるためにはまず、自分の構造を理解する必要がある。自分とは一体何なのか。明確な答えなんて求められてはいない。ただ何度絶望したとしてもそのたびに自分は自分であると思い出すだけでいい。そうだよ、人生は思い出すものだよ。そう、思い出すこと。人は生まれた瞬間何か大切なことを忘れる。朝、目が覚めた瞬間、夢の記憶を忘れるみたいに。この世界に肉体を借りて地面に足をつけて歩くのは、生まれた瞬間忘れた大切なものを探す旅へ向かうためなんじゃないかな。そのために足はある。不器用だから途中で自己犠牲の精神が芽生えてくる。自分よりも周りの人が心配だと。その気持ち自体はとても素晴らしい。周りが落ち込んでいると自分も落ち込んだ気分になる。それを人は共感と呼ぶ。共感することで一体感が得られる。一体感は不思議と包まれたような安心感や懐かしさを醸成する。周りの悲しみばかり共感していると本来の自分の気持ちが迷子になってしまう。どこに気持ちがいるのか探すのにとても労力を使う。そして自分も次第に深い悲しみを抱くようになっちゃう。あれ、なんか悲しいな。自分なんて。そんな風に思いたくないけど脳が悲観に向かって自動走行してしまう。どうしたら止まる、どうしたら楽観できる、どうしたら。どうしたら青空を眺めることができるのだろう。嬉しさや悲しさ、幸せや絶望のように経験してみないと湧き出てこない感情がそこにある。悲しみや絶望を抱いている状況が続けば長くて真っ暗なトンネルに突入する。そのトンネルは出口が全く見えず、もしかしたら死ぬまで暗闇の中を彷徨い続けなければならないといった不安や恐怖を掻き立てる。辛い時はどうしようもない。投げ出したい。そう思う。そんな時、生まれる直前のことを思い出した。思い出すんだ、お願い、思い出して。内側から微かに声が聞こえてくる。声は次第に太く、強く、こうやって言ってきた。
「その度に自分とは何か思い出そうとするだけでいいんだ。
答えなんてそう簡単には出てこない」
人生は瞬間だけど、その瞬間の中でよく考え抜き、何度も何度もやり直していけばいい。周りのことが気になるならば、このように言おう。
私は私でしかなかないし、あなたは私にはなれない。
私もあなたにはなれない。だけど私には私だけの歩幅がある。
止まっているように見える時は足元を見てみよう。
確実に地に足を着いて進んでいる。
と。たとえ感謝の気持ちと愛を忘れていたとしても思い出したらいいじゃん。絶望的な状況の時こそ、大切なことを思い出そうとしているんだよきっと。2023はとても辛かったけど、感謝や愛のような人生で大切なエネルギー、そして自分自身が生きる意味を気づかせてくれた。この経験は今後生きていく上で血となり肉となる。いつか自分を許し、思うままに愛せるようになれば、他者に与えることができる人間になりたい。そして繋げていきたい。
【それに対するコメント】
2023は大変でしたね。あなたはいつも広く広く物事を考えていて素晴らしいです。人間はどうしても自分の目の前にあることだけで精一杯になってしまいます。この時代は多様な価値観や娯楽で溢れかえったことによって周りを優先しようと思える余裕が減少してきたように思います。もちろん、みんながみんな自分のことだけで生きている訳ではないけれど、真に全体を思える人は少ないようです。純粋で素直な気持ちを持ち続けることは誰にでもできることではないです。あなたは時折、その強すぎる思いによって自らを蝕み、弱っているように見えます。まずは自分の調子を整えることを他の何よりも優先してください。そして継続的な対策を見つけ、自分のペースで行いましょう。少しずつ心や体に余裕が出てきたら自分を犠牲にせずに周りのためにできることを考えていけば、必ず思いは伝わります。私は常にあなたが日々、正解のないものに対してどのように向き合っていくべきか、どうしていけば平和になっていくのか考えては見失い、見失っては考えて、葛藤している姿も、絶望してどうしようもなくなっている姿も、小さな小さな幸せを見出そうとしている姿も伝わっています。なるようになるので、今は伝わってきただけで嬉しいです。支援できることは全力で行います。
【第三者】
困難な状況だったと思います。社会的にも大きな変化が起こっています。まさに未曾有の時代でしょう。変化に適応しようと足掻いた結果、皮肉にも適応しすぎることへのストレスが溜まる現象が如実に現れていますね。人間は太古より適応能力が備わっていますが、これが過剰になればなるほど精神的な苦痛が生じます。まさに今、過剰適応社会と言えるのではないでしょうか。私もここ数年ストレスを感じない日はほとんどありませんでした。あなたは、そのような社会的背景を肌で感じて見抜き、これからの在り方を模索していたように思います。未来を自由に描く想像力を立場を問わず共有していけば明るくなっていくでしょう。
【赤ちゃん】
おぎゃー。(あー、生まれたー!とりあえず泣こう!)
【先人】
心の中に余白がない限り文明は発展することを知らない。
余白とは常に時代と切り離された所に存在する。
【ハト】
年々、自然が少なくなってきた気がする。とても綺麗なんだけどな。季節の変化が年々激しくなってきたし、今、何か起こっているのかな。自然の色彩はいくら技術が発展しても模倣以上にはなれない。そろそろ夕焼けが見える頃だろうか。高度を上げて飛び立とう。
【二千の記憶】
二千年後に私は二十三。二千も指を折りながら私は何度も生まれ変わった。語ることを許されず、ただ静観するばかり。浮世は流れ移ろいて、夢に見ぬ景色へと私は招かれる。歪曲は元の姿を見え隠れしようとしているが、灯火は消えることを知らぬ。時代が何度来ようとも、自然との契りは決して解けぬ。自然への冒涜を嘆いても、誰も答えてはくれない。悲しいかな、嘆きすら自然であることに気づく。新しさと懐かしさは相反することはない。懐かしさは新しさを創り出す養分になり、新しさは懐かしさを感じる心となる。過去を過ぎ去った記憶のなかに留めず、現在に集約した所に未来あり。未来の記憶は常に人の中に眠る。眠れる民が朝を迎えるために深淵で暗黒なる夜が訪れる。それらは静寂のなかに包まれる。夜明けは待っていてもやって来ない。夜が人々に平静と許容を与え、永遠には続かぬ夜に名残惜しくとも別れを告げれば必ず人々を夜明けへ導いてくれる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
年の瀬になれば肌寒い空気とともに懐かしさが芽生え、新しさを待ち望む高揚感を内側に抱きながら葉を一枚一枚めくるようなゆったりとした空間へと案内されますね。
どこへ向かって羽ばたくのか誰にも分からないですが、きっと今という瞬間の中に向かいたくなるような「何か」があるのでしょう。
「自分で書いた本を出版する」
これは私の向かいたい道です。
走った方が早いのかもしれないのですが、確実に一歩一歩進んでいきたいと思います。
一度でも読んでいただいた方への感謝とともに。
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※道に迷った時