鈴と鐘のはなし

 僕は猫を飼ったことがないけど、鈴が居場所を教えたりするものであると知っている。
 僕の街に鐘が鳴ることはないけど、鐘が時刻などを告げるものであると知っている。
 なにかを教えたり告げたりすることに言葉は必要なく、金属が可愛らしく鳴るだけで僕はそれをわかるのだ。
 誰かが死ぬ。鐘が鳴る。僕はそれが弔いだとわかる。
 恋人に鈴をつける。縛りつけておきたい気持ちの表示だ。
 これは結構不思議なことで、弔いとか愛情とかは複雑なものだ。なのに、音が鳴る、というただそれだけでそれを伝えられる。直感的には「音が鳴る」は、単一の事柄しか伝えられないように思える。じっさいはそうはなっていない。
 もしかすると言葉はなにかを伝えることに不向きなのかもしれない。どれだけの文字数を費やしても、書き手は相手に伝えられたと確信できるものがなにもない。
 かわりに鈴を鳴らそう。鐘を鳴らそう。
 この文章は、そのようにして鳴らされた鈴や鐘の音よりも、きっと不格好な音を鳴らすに違いない。

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久慈くじら
小魔術