2018-05-31-21:34

 そういえば五月が終わるみたいだ。しかし月末だからってなにかしら感傷的になったりする人間のことを僕はまったくわかってやれない。月末というのは一年を十二で割ったうちの終わりという意味でしかなくて、そこに根源的な感情が生まれることはないからだ。勝手に決められた「終わり」という言葉の響きに切なくなっているだけであって、ほんとうに五月の終わりというものに切なくなっているわけではないと思うからだ。たとえばたいしてファンでもない芸能人の死に感傷的になる人間も同じだと思う。
 反対に、季節の移り変わりというものは自然界に確固として存在している。だから春の訪れとか、夏の終わりとか、秋の気配とか、冬のはじまりとかには僕はとても感傷的に反応する。そしてそこには記憶がつきまとう。ひさしぶりに嗅ぐ夏の匂いにいつかの夏を思いだす。もう戻ってこない夏だ。しかしまた新たな夏をすごすことはできる。そうやって僕は新たな季節を迎え、そして忘れていくのだ。

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久慈くじら
小魔術