2018-06-18-0:22

 そういえばRADWIMPSがなんか炎上していて面白い(僕はこのバンドがあんまり好きではないから)。結局のところ表現の世界というのは、知らなかったですまされる世界ではないということがよくわかる騒ぎになっている。
 たとえば、つんぼとかめくらとかかたわという言葉は、現代では滅多に使われることはなくて、なぜかというと「使うな!」って叫ぶ人間がすごい多いからだ。そこに妥当な理由はないけど、そういう奴らにやいのやいの言われるのが嫌だから使わないのだ。そういう奴らがいるということを物事を発信する人間は知っておかなくてはならない。それが最低限のリスクマネジメントというやつだ。
 そして、そういう奴らがいるということを知ったうえで、そういう言葉を使うか使わないかを判断するというのがクリエーターという人間がやらなくてはならない仕事である。それはプロはもちろん、アマチュアでも同じだ。そういうことができない人間はなにかを作って市場に出してはいけない。なにか言うということは、だれかを傷つけるという可能性があるからだ。もし、だれも傷つかない表現があったとしたら、それはなんの力も持っていないということだから、だれも幸せにすることもできない。だから、なにかを作る人間は相応の覚悟をしている。野田洋次郎はそうじゃなかった。それだけのことだ。
 そういえば「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」という科白も傑作だ。言葉の使いかたの問題であったことを理解していないことがよくわかる。もしここで「この言葉が国粋主義を連想させ、ある人間たちにとっては不快なものかもしれないことは理解している。でも、俺はそれを理解したうえで、この歌詞にとってこの言葉が必要だったから使った」というふうに言っていたら、まったくまったくまったく違っただろうなと思う。
 炎上した人間の後始末係っていう仕事があったらやってみたいな。完璧にこなせる自信がある。

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久慈くじら
小魔術