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クラレンスを助けて! 灼熱の8月、孤独死の家に2人は足を踏み入れた
2024年8月13日の昼前、神奈川県湯河原町のNPO法人「ゆがわらへそ天猫倶楽部」代表・細野邦子さんの携帯電話が鳴りました。「高齢者の孤独死です」。町の職員からの電話でした。「ああ、ネコを飼っていたんだな」。ピンと来た細野さんは、ベテランメンバーの黒川由里子さんとともに町職員に合流、3人で現場に駆けつけました。
(本文には孤独死の状況に関する表現があります。ご注意ください)
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■飼い主死亡の現場、ネコ保護は初めて
「ゆがわらへそ天猫倶楽部」は、神奈川県南西部の湯河原町・真鶴町を中心にネコの保護・譲渡・地域猫の活動を行っているNPO法人です。NPO法人の認証を受けたのは2024年1月ですが、メンバーには15年以上活動している人もおり、スキル・実績も十分あります。ネコの保護・捕獲が必要な場合に町や町民から依頼が来ることも度々あり、今回も湯河原町の担当者が細野さんに電話をしてきたのでした。
独居の高齢者がネコと暮らす例は少なくありません。その高齢者が入院したり施設に入ることになって猫の保護を依頼されることは過去に何度かあったそうです。しかし孤独死の現場に残されたネコの保護依頼は今回が初めてでした。
同様に、湯河原町にとっても初めてのケースだったといいます。親族の連絡先はわからず、当座の処置はすべて町の判断で行うしかありませんでした。
■猛暑の中、動かない室外機「おかしい」
湯河原町は、神奈川県の西南端にあり温泉町として知られる人口2万2000人ほどの町です。相模灘に面した平地に市街地が広がっており、JR東海道線や有料の真鶴道路が通っています。年々高齢化が進んでおり2023年度の高齢化率(総人口に占める65歳以上の人口)は43.7%と県内トップクラスです。
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現場は住宅地にある2階建ての一軒家。3人が到着した時にはすでに警察による検死が行われていました。
家の外で警察の作業が終わるのを待っていると、近所の方が通りかかりました。その方は飼い主が亡くなる前、近所付き合いの中で挨拶を交わしたりしていたのだそうです。しかししばらく前から姿が見えなくなり、旅行にでも行っているのかなと思っていたとのこと。近所の他の人たちからもエアコンの室外機がずっと動いていない、家の中に人の反応がないなどの声が出て役場に何度か連絡したのだそうです。これが飼い主の死亡確認に結び付いたのでした。
■前日37.8度「生きているんですか?」
13日正午の気温は、近くのアメダス観測点(小田原市)によると33.7度に達していました。
この日だけではありません。8月1日からの最高気温(小田原市のアメダス)は33.3、33.6、32.9、33.9、33.2、33.9、35.0、33.5、35.5、35.4、35.0度。前日の8月12日は37.8度に達しています。家は締め切られており、エアコンは止まっています。ネコは暑さに強いとはいえ、餓死していてもおかしくありません。
「ネコは、生きているんですか?」
2人はいてもたってもいられず町職員に頼み、検死中の警官に尋ねてもらいました。
「2階の棚の上にいて、逃げたのを見たそうです」
「生きてるんだ!」
安堵したものの、どんな状態でいるかは全く分かりません。2人は警察の作業が終わったら町職員から連絡をもらえるようにして一旦現場を離れました。
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■1階に捕獲器設置、天井からは水
警察の作業が終わったのが午後1時過ぎ。2人はすぐ現場に戻り町職員と合流。3人は勝手口から無人の家に足を踏み入れました。餌につられて入ると扉が閉まる捕獲器を3台持ち込みました。
玄関から上がってすぐの天井から水が落ちて水たまりができていました。2階へ上がる階段も濡れています。しかし床にはネコの足跡などは見られず、いる気配もありません。
家屋内は強い臭いに満ちていて、捕獲器に入れた餌にネコが気づくか疑問でしたが、1階の3カ所に捕獲器を置きました。
■真っ暗な室内、懐中電灯で確認…いない
細野さんたちは何度か捕獲器の確認に訪れました。午後7時、午後10時。真っ暗な室内を懐中電灯で照らしてチェックします。さらに翌8月14日の朝8時半。いずれも捕獲器内にはおらず、ネコが1階に降りてきた気配もありませんでした。
その足で役場に向かい、2階について聞きました。生活に必要なすべてが2階に集約されており、ネコも主にそこで暮らしていたと思われました。
窓はいくつかあり、日差しがふんだんに降り注ぎます。エアコンが動かず締め切った状態では何度になるか想像もつきません。13日の最高気温は34.2度。14日も34度を超える見込みでした。
さらに話をする中で、なぜ最初からネコの保護依頼を町がしたのか、その理由が分かりました。飼い主が町役場の福祉関係の部署を訪ねて相談した記録があり、それに飼いネコの記述があったのだそうです。名前は「クラレンス」。引っ越して来る前から10年ほど飼っているというようなことでした。
飼い主の死が分かってから、高齢者福祉の部署、犬ネコ担当の部署、これらがクラレンスの命のことを考え連携したことで、捕獲スキルのある細野さんたちにスムーズに連絡がなされたのでした。
しかしそれでもこの状況がもう何日続いていたのか分かりません。クラレンスの体力はいつまでもつのか。生きているのが確認されたとはいえ、ひょろひょろガリガリでないとはいえません。
このままでは埒が明かない。細野さんたちは2階に上がることにし、準備をして現場に戻りました。
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■ネコ捕獲用の網を携え2階へ
長靴・マスク姿で中に入ります。水でぬれている床には段ボールとレジャーシートを敷いて歩きやすくしました。捕獲器だけでなく黒川さんは捕獲するための網を持って上がります。柄の長さ50センチ、かぶせる部分が網ではなく直径40センチ、長さ130センチほどの白い布に改造したネコ専用の捕獲網です。柄は150センチのものもあり用途に応じて取り付けるのだそうです。
布にしたのはネコが爪を立てても引っ掛からず、目隠しになって暴れにくくなる効果があるからです。また長くしてあるのはネコを入れた後で根元をつかみやすくするためなのだとか。
■台所の隅にキャットフードの袋が
濡れて滑りやすくなっているまっすぐの階段を慎重に上がるとすぐの床にビニールの袋が一つ落ちているのを細野さんが見つけました。500グラムのネコ用ドライフードの袋です。中は空っぽ。
「食べるものがあったんだ。ならガリガリではないかも」
台所のシンクにもネコの歩いた形跡があります。
進んでいくと、床には長靴の甲ぐらいまでの水が溜まっていました。ネコは濡れたところは歩かないので、クラレンスは濡れていない家具などを伝って移動していたようでした。
■机の上、うずくまる丸いもの
最初は2階に捕獲器を仕掛けるつもりで上がった2人でしたが、黒川さんは捕獲用の網を置き、ジャブジャブと長靴で水をかき分けながらさらに中に進んでいきました。
「とにかくクラレンスの体調が心配で心配で、もう勝手に探し始めてしまって」
明るい2階のフロアをぐるりと見て回ります。クラレンスはどこにも見当たりません。
「いないのか」
細野さんのところに戻る前にもう一度、今度は逆回りに確認しました。
あっ
クラレンスは机の上に置かれた本などの中に、小さく丸まってうずくまっていました。最初からそこにいたのに、周囲と同じ色合いで気づかなかったのでした。目は開いていて、ちょっとこっちを見ました。
驚かしてはいけない。
黒川さんはそっと後ずさりしました。
「いたよ」
小声で細野さんに伝え、捕獲網を手に取り、それからゆっくりと近づき網をパッとかぶせました。クラレンスは暴れる元気もなかったのか、抵抗することなく無事保護することができました。
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■体調問題なし、1週間で本来のクラレンスに
網から捕獲器に移し、すぐ動物病院に連れて行きます。
食べ物を十分には取れていなかったこともありクラレンスはやや貧血気味でした。しかし大きな問題はなく、点滴をしただけでその日のうちに病院から戻り、ケージに入れることができました。
保護から2、3日間、クラレンスはボーッとおとなしくしていました。眼の瞳孔は開いたままだったそうです。
「それは本当に怖くて不安だったからだと思います。どれだけの日数、飼い主がいない心細さを感じていたのか。それはすごいストレスと不安で、多分パニック状態だったと思うんです」と黒川さん。
それでも1週間ほどすると本来の姿に戻ってきました。
長年飼い主と1対1で暮らしてきたためか、クラレンスは人にはよく懐くのですが、ネコとしての社会性はほぼゼロ。気が強く、他のネコが近くに来ると挨拶することもなく、すぐ「シャー」と威嚇し攻撃するのだそうです。
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■まったり暮らして長生きしてね
その後、亡くなった飼い主の親族が手続きで役場を訪れたとき、クラレンスの話が出たそうです。ネコが飼われていたことも全く知らなかったというその方は、現在NPOで保護されていることを聞き、飼うことはできないのでそのままお願いしたいと役場職員に話したということでした。
クラレンスは今、町内の預かりボランティアの家に1匹だけで悠々と暮らしています。元気で動きも機敏。好きなだけ食べているので保護した時に比べ体重も1キロ近く増えたとのことでした。
「もう10歳を超えているので昼間はドームの中で寝てばかりですけどね」と細野さんは笑います。
「この子にとっては飼い主が常に家にいて、この子も好きなようにできるのが一番いい。おそらく飼い主さんとの1対1のまったりした生活が性に合っていたと思います。幸せなことだったと思いますよ、そうやってずっと大事にされて…。この子に新しい家族があらわれて、長生きしてほしいです」
細野さんはこう話し、隣の黒川さんもうんうんと頷いていました。
ネコをめぐり行政とNPOが日ごろからうまく連携している湯河原町だからこそ、そしてネコの命を最優先に行動した2人がいたからこそ、危機に瀕した1匹を救うことができたのでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。