認知症のらくいんを押したあとに

私の父と 長崎に旅行に行った叔母は
北関東から近畿圏まで一人で来て、父をエスコートして
長崎まで飛行機に乗っていけた。
目が見えず、耳が聞こえず、それでも一人暮らしをしていた

ところがその年末、
自分の通帳がないといって、わざわざ電話を何度もしてくるようになった。

家の中にあるはずの通帳がなくて、
離れて住む 家族と 相当なやりとりがあって
悩んだ末に わざわざ近畿に住む我々に相談の電話をしてきたのである。

彼女も 軽度の認知症を患っていることを その後知った。

あったことも連絡したこともない
彼女の娘(といっても50代くらい)と
話をしたのはその時が初めてだった。

精神科にかかっているというその娘は、
母とは気があわず、別居しているという話をえんえんと1時間以上
事情をなにも知らず、家族構成もわからない私にし続けた
叔母も耳が遠かったしなまりが酷かったので
話の3割くらいはわからないくらいだったが
娘の話もやや主語と述語の関係がききとれず、関係性が
わかりづらかった。

その中で聞いた要旨は、
叔母が一人暮らしをしていて、
認知症になったけれど、ひきとれない(間柄が悪いので)
施設に入ってもらった

歩くと転ぶので、車椅子になっている
縛り付けられても、なんとか脱出しようとして
他の入所者もたぶらかすのでこまっている
という話だった

あるいて、東京都内の駅を乗り継ぎして
新幹線に乗ってきた叔母の姿をみているので
そのたった半年後くらいに 歩くと転ぶので
トイレまで車椅子というのはにわかに信じ難かった。

きくと、メマリーという認知症の薬を
規定量飲んでいることがわかった。
あれは、
父の場合
めまいで転倒することを恐れて
夜(寝る前)に投与するように処方された薬である。
それも半量
認知症専門医のところへ行っても
体重を測って、それに応じて投与量を決める
規定量まで徐々にふやしていくからという説明を受けていた薬だった
(そこの認知症専門医のところへは本人の意向もあり途中で行かなくなった)

彼女は父よりも小柄で体重もおそらく30kg後半位

精神科に通っているという彼女の娘は
「精神科の担当医に『おまえの母親は俺に任せておけ』と言われた。
おかげで、(介護度が上がり)グループホームから
特別養護老人ホームに行けそうである」

嬉しそうに語っていた。


一度 そういう話を聞いてから
叔母から電話が来た

娘の目を掻い潜り、自分で電話をしてきたという叔母は
まったく前と変わらず、毅然とした話しっぷりは
とても認知症を疑えるものではなかった。


恐ろしいな


と思った。


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