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死ぬと思って生きている
昨年、なんだか恐ろしい病原体が中国のある地域で人々に広まり、その後世界中にそれが人を介して広まっていくのをみた。
たまたま、ウインディというアプリで中国の空を眺めて「この国で肺炎が流行ったら沢山人が死ぬかもしれない。空気が悪すぎる」と直感した後で
自分の直感が当たってしまったことに戸惑った
その後様々な情報を得るにつれ、日本という国が、すでに国としての体を持たないことに気づいた。
何が起きたんだ!と ワタシは東の空をみた
朝日はいつも、東から上り、沢山の人が住む街を照らしていた。
この国は、どうなってしまったのだ。
いつ、こんなことになったのだ
このようなことになったのは、なにかが間違っていた、なにが大きな間違いをどこかでしたに違いない と
その時思った。
国の根幹をなす、なにかに、何らかの過ち、何らかが侵すようなことがあって、それをしらせているに違いない、なにがあったのだ、と思った。
そして、昔手にして印象に残っていた本。。
「私の遺言」という本を あろうことか猫のトイレに落ちているのを見つけた。昔、何度も何度も読み返した本である。
この本には相曽さんという霊能者がでてくる。
霊障で困り果てた佐藤愛子さんの状況を唯一解決に導いた、神の遣いとしてこの地に顕れた方
「波動をあげるには、日拝が効果的です。」
「あまてらすー(ここは吸う)おおみかみ」と呼びかけながら、朝日を拝む」
昔、地球の波動を上げなければならないと書かれたこの本をずっと読んでいた。しかし、この数年忘れていた。自分の生活でいっぱいだった。というのは言い訳で、本当に忘れて、捨て置いた思想である。
こんなことが、とうとう起きてしまった。
間に合うだろうか?
そう思いながら、毎朝 朝日を眺め、朝に間に合わなければ太陽があるときに手をあわせ、曇りの日も雨の日も。相曽さんのように日拝を欠かさないというほど毎日はできなくても、心がけてきた。
そのうち、太陽が、どれだけ自分たち生きとし生けるものに恩恵を与えているかと思うようになる。太陽は、どれだけ与えてくれているか。でも、太陽は「対価をくれ」とは言わない。決して、なにかを与えたから見返りをくれとはいわない。
こんなことを言うと「当たり前じゃないか。ばかじゃないの」と言う人がいるかもしれない。この感覚はどう説明したらいいのかわからない。
太陽は、間違いなく、私たちの命の源なのだ。太陽が育ててくれた地球の草花が、生き物の命を支え、私たちは太陽が命をあたえてくれた、太陽の子と言っていい。それにもかかわらず、私たちは「太陽はただ勝手に光を送り届けるだけの惑星」だと思っている。
昔、諸星大二郎の漫画で太陽がある日、輝くのをやめてしまう、というものがあった。太陽が隠れてしまい、あらゆる物事が滞り、あちこちで、どこでも人々が困っている。それでも、だれもが「太陽にお礼を言っていなかった」などとは気がつかない。そして、日本にたまたまきていたアフリカの人が、太陽へ感謝のお祈りを捧げる。・・そして・・・
太陽へ祈る
それぐらいしか、日本が、日本が国として、日本に生きる人たちが、本当に国家に守られていて、国をみんなで守ろうという気持ちで、お互いに強力して。。という いままで思っていた日本の国家観に戻れるように。。と願うしか。なにもできない。
今の世界情勢、誰かが上にたって、それとなくコントロールしているきみわるい状況を どうにかする力をワタシはもたない。ただ、twitterでオーロラさんという人が、祈ることは有効だと教えてくれた。
たとえお金や、権力 影響力がなくても 祈ることができる
祈る、思いをもつ、と言うことしかできないけれど、日本中のみなさんの幸福を、世界の、宇宙の全ての魂に、祈りを捧げること。それはできる。そして、その思いをもち、ささやかながら、実行としての毎日の祈りの行為は、
自分の心を励ます。自分を信頼する心の強さを与えてくれた。
私の見通しは甘くない。あまりにも、浸潤してしまった。行動としての薬剤摂取。行動は心を強化する。一つ 線を乗り越えてしまった。やすやすと。多くの人々が。。心の問題がこれほど、実社会に影響を及ぼすとは思わなかった。あの目に三角のマークは、人々の目を支配するという意味あいだと思ってはいたが、まさにその通りだった。
これだけ感染者数が少なくなったにもかかわらず、未だに来年からの薬剤摂取計画についてものものしく語るテレビの人々。彼らは自分の自由を拘束されていくことがこわくはないのだろうか。人を支配することは、その上の人たちから自分を支配させることを厭わないという顕れで、誰一人逃れることは出来ない。
あのときから、だいたいいつまで生きるだろう、という期限を感じ、それが当たらないことを祈りつつ、それまでしか生きられない(人として)という見通しのもと
死ぬことを前提に生きている
たぶん、 まで にこうなる。
だから
までの間は、これをやろう。たのしもう。
そう思って。
生きている。
自分を生きる 心地よく生きる やりたいことをとことんやる。自分をお客様のように、まるで重要なお客様のように扱う。きれいな場所に住み、心地よい香りと好きなものに囲まれて生きる、それができる限りやる。
感謝もわすれない。生きている間にしかできないことは感謝の気持ちを伝えること。そして、霊界や天界に存在するであろう魂にも、生きている場所から感謝を伝える。心から生きる。こころから。なぜなら、空の人々は私たちのこころをつぶさにみている。なにも隠し事はない。本当につながっているから・・それを、毎日実感している。
死ぬことを意識して生きている
毎日。
明日も、明後日も。