水星の魔女 感想(ネタバレ有)エラン編
水星の魔女面白かったです。
今週末の水星の魔女のイベントに参加するくらいにハマりました。
リアタイ時の熱量をなるべく保っていたい。
ただ、記事を読んでくれた人にも聞きたいのですが、水星の魔女の”どこが面白かった”でしょうか?
これって結構難しいなと思いました。
僕自身、本作品を人に説明するときに面白かった箇所について上手く話せず、「尊い…」に頼らざるを得ませんでした。
この好きなことを上手く説明したいと思うのはオタクのサガなのでしょうか?
秋葉のラジ館にいたオタクがこんなやりとりをしていました。
「俺は面白かったと思うよ」
「いや~、ユニコーンに続いてまたオカルトかよぉ~と思って」
いやいや、そんなことはどうでもいいだろ!
確かにあのエンディングに賛否があるのは理解している!
ただ、それまでの細かい人物描写について何で言及しないんだよ!!!
水星の魔女ってエンディングまでに如何様にも加点できる部分があっただろ!
そう思ったのですが、感覚的に良さの共有がしにくい作品だと思いました。
機体がかっこいいとかは幾分話しやすいのですが、キャラの感情の動き、ブレを注視して視聴していたので、大変面白かったです。
しかし、そこに興味を持てたか、つまりキャラを好きになれたかどうかで、各人の作品全体の評価は大きく異なるだろうなと思いました。
全編を通して
正直これは色々書くことが多すぎて、また別に記事として残します。
簡単に触れておきます。
マフィア梶田氏の「罪の肯定」をした作品と評しました。
私はこれを聞いて、かなり納得しました。
因果応報は基本的にどの作品でも無意識に求められます。
勧善懲悪ではないにせよ、罪と罰は必ずセットになりますが、
水星の魔女の殆どの人間が罪を背負っていました。
終着点として、シャディクが全ての罰を引受けました。
その点に、カタルシスを得られない人もいるだろうなと思いました。
全体的に、作品的に勧善懲悪、罪の清算と行かなかったため、清涼感のようなものは薄く、生っぽい作品だったと思います。
なので、親しい友人にも水星の魔女の感想を話すのが難しいと思いました。
(作品の着地点が見る人によっては全然ハマらないだろうなと思った為)
僕はこの作品が大好きです。
エラン 4号について
はい、ここからやっと書きたかった内容になります。
僕が一番好きなキャラです。
ビジュアル、声、彼の価値感が好きです。
エラン4号の何がそんなに刺さったのだろうか?
と思って、1話から再視聴し確認しました。
正直、あれ?何か全然普通だぞ…しかし、6話のエアリアルvsファラクト戦の決着後の台詞で、ここだ!俺はここが好きだったんだ!と思い出しました。
以下 台詞
「賭けは僕のことを教える、だったね?」
「いたんだ、昔…誕生日祝ってくれる人。僕には何もないと思っていた」
「けど、そうじゃなかった…そうじゃなかったんだ」
文にすると全然大したことないように見えるな…
でも私には刺さりました。
エランの境遇と自分がリンクして、キャラ解像度が急激に高まり、キャラに強烈な感情移入しました。
(以下、自分語りを含みます。感情移入できた理由を説明するには私の自分語りをしなくてはならないのでご容赦願います。)
私も自分に自信がなく、生きてるだけで謎の申し訳なさ、負い目を感じており、何か自分がしなくては生けないことを遠ざけ、おざなりに生を消費していると感じており、未来への憧れがありませんでした。
そのため、エラン4号が誰かに愛されていたことを思い出す。
「けど、そうじゃなかった…そうじゃなかったんだ」
この台詞は私の脳に直列に接続され、私の人生の楽しかったことが走馬灯のように逡巡しました。
文にするのも難しいけど、愛されていたことを思い出すってかなりの救いになると思います。
私もも私のことを愛してくれている人をこの台詞聞くまで結構忘れてたので、
エランに対して、強烈な共感を覚えたし、愛されていたことを思い出し、とても感動しました。
その後の、スレッタとのやり取りもとても良い
付け加えて、彼の死生観もかなり共感できて好きでした。
エランはスレッタが自身と同じ境遇、強化人士であると思い、スレッタに接近しました。
しかし、エアリアルがガンダムの呪いを克服していると知り、スレッタが全く異なる存在であることを知り、態度を変えます。
youtubeのコメント欄だかどこかで
「何でエランがキレたのか分からない」
何故理解できないんだ…と、そのコメントに少し憤った覚えがあります。
あれ、文にすると意外と説明が難しい…
エランとスレッタの関係を入院患者に例えてみると
同じ境遇で、寿命数年だと思ってた人間(スレッタ)が、全然そんなことは無く、未来に希望ありまくりで、エランが患っている病気と全く無縁だったって感じですかね?
境遇似ているな~と思って接近して全然違うし、何なら自身の存在を否定するような、ガンダムの呪いをクリアしたスレッタの存在は強化人士の不要を意味します。かなり鬱陶しいと思います。
(スレッタに学校放送でHappy Birthdayを歌われた後の電話で、通話終了後に「鬱陶しい」とスレッタに聞こえないように吐捨てるエランが好きです。彼の生来の優しさを感じる。)
「君はなんでも持っている」
「友達も家族も、過去も未来も、やりたいことリスト、希望だって…」
この台詞が重い!
エランにとって自身を救ってくれるような存在は求めておらず、ただ、一緒に沈んでいく存在もしくは理解者を求めていたように思います。
そう思ったスレッタが全然違うし、何なら誕生日聞いてくるわで…
だからエランはキレていい。(スレッタからしたら不可避すぎるが)
凄い辛い境遇に共感できるし、最後は救われて死を迎えたキャラです。
彼の愛されていた事実に救われた表情が大好きです。
当たり前の事に気づかされるシーンが大好きなんですよね。
その後のスレッタのやり取りもいい。
幸せになるべき(なって欲しい)キャラだったと思います。
だからこそ、途中退場のインパクトもあり、みんな好きだったのかな?
5号の人気が上がるほど、俺だけは4号を忘れてなるものかとリアタイ視聴していました。
最終話はずっと何処かで期待していた演出だったのであの演出はすごく嬉しかった。
書いてて思いました。
好きなものを説明するのってこんなに面倒くさいのか??
「尊い」は偉大で最悪だ。
やっぱ、読書感想文って必要な課題だと思います。
それとも、感想の共有は「尊い」だけに留めて置くのがベターなんだろうか
自分が何を良いと感じたかは、それまでの人生経験からくる感受性の形成であるため、いいと感じたモノの共有は少なからず自己紹介の要素も含むのでは?
みんなが一様に同じシーンで感動できる作品は感情の共有が楽で、話題として盛り上がるので人気に成りやすいのかなとか思ったりしました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?