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「書きかけのノート 幸せについて1」

「早く年金欲しい!」
そう思うことが多くなり、このままではいけないと思いました。
幸せになるため、あるいはその方向を向くにはどうしたらいいのでしょうか

はじめに、この記事は私自身への幸福について考えるための試みとなります。画期的なものは何もなく、ただの自己内省を書いたメモになります。
タイトル通り、書きかけのノートです。
何度かの自己内省を行い、いつかは結論を出すつもりです。
文体は適当です。公開するものでもありませんが、最低限人に見られる可能性があるものとして書き留めています。

最近はどうにも思考の堂々巡りの悪癖が激しくなってきた。
「未来への不安」
よくよく考えたら全部こいつのせいだと分かった。
考えてもしょうがないぜ!と、簡単に割り切ることもできない。
複雑な問題にしているのは私自身なのだが。

これは私にとって、解の無い命題であるにも関わらず
多大なストレスとなっている。

この悩みの種は平日も土日も関係なく、自己肯定感をこそぎ取り、果てには倦怠感として自分を襲う。
毎回結論を先延ばしにしてしまうものだから、性質が悪い。
出口の無い迷路って表現がこれほどしっくりくるものもない。

「未来への不安」
これはいくつかの問題の複合体である。
どうして不安になるのかの心当たりとして

「何を幸福と感じるのか」
「幸福へ向かっているか」

これを軸に整理していこうと思う。
分解して1つずつ消化できる大きさにしてみようと思う。
自分の中で「」で囲んだものは解消すべきものとして扱うことにする。

幸福について

幸せには勿論なりたいが、そもそも幸せとは…?
少なくとも不幸≠幸せとはいえる筈。
つまり、健康で文化的な最低限の生活となる。そこに加えてクーラーとか一般的な住みやすいとか、不自由をなく生活できる状態であれば幸福と言える筈。
じゃあ、私は既に幸せじゃないか?

夢か、夢がないのが悪いのか?
夢とは無縁だった。サッカー選手と書いた短冊はクラブ活動の空気を読んで書いた。
夢ではなく、成れる者に成るしかないと子供の時から思ってたけど、みんなもそうだったのだろうか。

進学も就職も、努力しないで入れるとこに進んだ。
周囲の人は喜んだ。それを見て私も喜べた。
分不相応なものに手を出したことは無い。

現在に至る。
将来の夢、夢はなくとも将来に至った。
やりたいことは未だにない。

だが、毎日が充実していればそれでよいとも言える筈。
充実してる…のか?
仕事で定時に帰れた日でも、もっと残業しておけばと自責の念に囚われる。
これは人の目を気にしているからだ。
何故気になるのか?
恐らく「自己肯定感の外注」をしているからだと思う。
書いてて驚いたのだけれど、自己による自己肯定感の醸成の仕方が本当にわからない。
自らを褒めようとしても、「根拠の無い自己肯定」であった場合、他者に咎められた際にせっかく築いた足場が一気に崩れ落ちてしまう気がする。
自己と他己では他己の方が当然、客観的な意見だ。
他己に縋れば間違うことはあまりない…はず。

さらに気が付く、「自己肯定感の外注」を効率的に行うために、「自身の価値下げ」を行い、他者に褒められやすい状態にしようとしていたこと。
これは今すぐにでも辞めよう。

今回はここまで、気がついたら二時間立っていた。
次々と浮き彫りになってきた。
「」で括った事項は私が向き合うべきと感じたモノの目印です。
とどう向き合うかはまた深堀します。
これ書いててすっごいアホらしく思えてきた。
この調子でいけば、悩みと決別できるかもしれない。



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