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「安楽死3200円」ネット記事を見た話

こんばんは喰奴です。

スイスの安楽死カプセルの使用費が3200円というのを知って驚いた時の話。
別に使用願望がある訳ではないので安心してください、むしろ逆。

人間誰しも、瞬間的ではあろうが死を望む瞬間があると思う。
それは会社に上司で叱責された時かもしれないし、恋人と別れる時かもしれない。

死んだ方がマシ

そんな状況に何回も出くわすと思う。
そんな時に「安楽死カプセル3200円!」(ドラ〇もん)

詳しく知りたい方はネット記事を参照していただきたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/32584b391bad44bb5267709ab05eca7b6816c53b

あまりに安すぎる。
死んだほうがマシを3200円で購入できる。(飛行機代がどうとかは省略)
適正価格が幾らなのかはこの記事の要点でないが、あまりにも安い。

会社の帰り道に死んでしまえる金額だ。
なんなら、時給1000円のバイトでも、3時間ちょっと働けば死んでしまえるのだ。

死に甘えていた思考回路がこの記事を見て破壊された。
生きるのが嫌なら3200円で死ねば?

流石にそうはならない。
死はもうちょっと遠いものだと思ってた。
その気になれば死を選択できることにとにかく驚いた。

自分は3200円で安楽死は有り得ないと思った。

通勤時のカーブでハンドルを切らなければ死ねるのかな?と考えたことは幾度もあった。
しかし、いざ死が選択できるような未来になったとしても、安楽死を選択することは当分ないだろう。

生きていても楽しいことはあまりないと思っていた。
幸福か不幸かということではなく。
ただただ、生きていくのが面倒だと思っていた。

理由は多々ある。
1つは老いだ。

同居の祖父が弱っていくのを見て、長生きもしたくないと思った。
自力で排泄が困難になる未来は絶望でしかない。
当然、祖父もそうなりたかった訳ではない。
家族も私も理解している。
行き場のない負の感情をどう処理していいのか分からない。
生きていることが迷惑になる未来に対して前向きに捉えたらいいのか分からなかった。
生に対しての無力感のようなものに苛まれていた。

生きていく中で多くの不幸が目に付くのは仕方がない。

ただ、安楽死の記事を読んで、自分は少なからず生を選択して生きているのだと理解した。
そうであるならば、生をより良いものに少しでも頑張っていくしかないんだろうな。

頭のいい人はとっくの昔に分かっていることをようやく飲み下せた気がした。


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