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京千代紙とチョコレイト
先日、仕事を終えて帰路の電車に乗ろうと駅に向かったところ、溢れんばかりの人で駅に近づくことすらままならず、時間を費やそうといつものお店に行くことに。
そうとう疲れていた気もするのですが、いつものカウンターに座ると、バーテンダーさんが「偶然あるんで」とほうじ茶のチョコレイトをくださいました。
さすが京都のお菓子は包装も見事だな、と思っていると「中のチョコもすごいんで」とのこと。
「それはそれは楽しみだ」と笑って、食事とお酒を堪能して家に帰ると23時を回っていました。
いや、仕方がないと言えば仕方がないのですが、月曜日から電車の影響とはいえ、「酒を飲もう」と前向きに捕らえられず(正直自棄酒感あった)
花粉症もあるからシャワーだけちゃんとして、そのまま眠りについて、夜中3時に目が覚めて・・・。
人と話せて楽しい夜だった筈なのに、家に帰れば独りぼっちということが無性に孤独感を煽り、そんな風に寂しさに打ちひしがれる自分に嫌気が差して、無理やり二度寝を決め込みました。
そらこんな状態じゃツイッターやっても楽しくないし、寂しいと言ったところ喚いたところでどうしようもないし、
あわよくば「酒飲んで、おいしいご飯食べて、チョコ貰ったんでしょ?何が不満なの?」と
めっためたに言われることでしょう。
誰にだってそんな日がある。
わかりきってるそんなこと。
だけどそんな夜に惨めさに打ちひしがれて、どうにもならなくて、自分で自分の首を苦しめるときにどうすればいいのか未だにわからない。
「話聞くよ?」と言われても、申し訳なさと地味に沸いてくる不信感で嫌気が差し、「どうしたの?大丈夫?」と聞かれれば余計な気を使わせてしまった、自分ごときのために、と結局嫌気が差し
「やっぱり私のことをわかってくれる人なんて理解してくれる人なんていないんだ!」と声にはならない叫びたい気持ちを飲み込んだ。
アラームが鳴ればあわただしく準備をして「何で私はいっつもいっつも余裕が無いんだ」と、また自分に嫌気が差しながら出勤して、その気持ちだけが吐き気のようにぐるぐると自分の中を駆け巡っていく。
ようやく昼休憩になり、買ったおにぎりと味噌汁を食べるが、味噌汁を飲み干せない。
味はするけど、進まない。
ようやく飲み干せたと思ったら想像以上に時間は過ぎていた。
「いっそ脳みそを空っぽにしたい」と思いながら、きれいな包み紙のチョコに手を伸ばした。
チョコレイトには、京都 嵐山 渡月橋が浮かび上がっていた。
「すげえな」
思わず笑う。
しかし大きい。
仕方なくいくつかに割り分け、その1つを口に含んだ。
ほんのりとしたほうじ茶の香ばしさと、波の様にチョコレイトの甘さが広がった。
一瞬、多分ほんの一瞬、何かがスッと抜けた気がした。
それが何かはわからないけど、嫌なことを忘れられた。
甘味は毒だと、表現されることはあるし、あながち間違いでないのもわかる。
ただ、毒にも薬にもなるという言葉があるように、劣等感と嫌悪感に苦しむ私にとって
彼がくれたチョコレイトは、一番必要な薬だったように思えて他ならない。
爛漫の花が咲いていた千代紙は、そっと財布にしまった。