来る年
雪の降り積もるゴミ捨て場で、三人で小さな肩を寄せ合い暖を取る。右隣には灰色の髪の男。左には黒髪の薄汚れた女。
あの日。空から降り注ぐ炎によって家を失い、身体を焼かれ、死体として見捨てられ。しかしそれでも生きていた俺は隣町のゴミ捨て場で名前も知らない、そもそも名前が存在しない男と女と出会い、いつしか三人で鼠のように、野良猫のようにゴミを漁り、何とか暮らしていた。
今夜も、廃材でできた今にも崩れそうなゴミでできたかまくらにうずくまり、靴下はおろか靴すら履いていない剥き出しの小さな足を擦り合わせる。
……ねぇ。
……何。
不意に黒髪の女が問う。今にもくっつきそうな瞼を擦りながら俺は短く答える。灰色の男はすでに眠ってしまった。
今日はさ、『おおみそか』なんだって。
…………。
なるほど。この日、世界はいわゆる『大晦日』というものらしい。家が焼かれる前、ぼんやりと母から聞いたことがあった、気がする。どこか遠くから鈍い鐘の音が鳴り響く。
女は続ける。
普通の人はあったかいこたつに入って、テレビ見ながら年越しそばってのを食べるんだって。あんた食べたことある?
俺は首を横に振る。金使いの荒いクソ親父のせいで、俺達兄弟や母さんはいつもの食事ですらままならなかった。
女は俺の答えにそっか、と呟き、さほど気にした様子もなく続ける。
そんでさ、次の日のおしょーがつにはおせちってのとおぞーにってごちそうを食べるんだって。去年、白ひげのじーちゃんが言ってた。
俺は知っている。その白ひげのジジイは今、少し離れたゴミ捨て場でカラスの餌となっている。
ぽつぽつと話す女の言葉に、空腹と眠気と疲労からだんだんまともに答えることができなくなる。俺はただただ両隣の温もりがいつまでも消えないことを願い、女の声を聞きながら重い瞼を閉じた。
あたしたちもさあ、いつかお腹いっぱい食べたいねぇ……。
そばも、おせちも、おぞーにも……。
……ねぇ、仁。
…………ねぇってば。
「起きろジョージ!」
どすん。腹に衝撃と重みを感じ、呻きながら目を開ける。辺りを見回すまでもなく、声の主である、夢よりずっと図体のでかくなった女が腹にのしかかり、文字通り目と鼻の先で見下ろしていた。
「……近ぇ。あと重てぇ。お前、太っ」
「もっぺん寝るか?」
「…………」
「ほら、起きろ寝ぼすけ。朝ごはんできてるってさ。もう昼だけど」
「……ああ」
そういえば昨日は年越しを済ませた後、こいつらにしこたま酒を飲まされ、最後は気絶するように眠ったんだった。俺の倍は飲んだはずなのに何でこいつはケロッとしてるんだ。ウワバミめ。
俺からひょいと降り立った女──長門愛子はあの頃よりずっと短く、しかし清潔に整えられた髪をなびかせていつもの怠そうな口調で言った。
「……あけおめ、仁」
「……明けましておめでとう」
軽い足取りで去っていく長門を見届けた後、身支度を済ませた。あの頃の……昔の夢を見たのは久々だ。確か十歳になった頃だったか。
欠伸を噛み殺しながらリビングのドアを開けると生暖かい空気が包み込む。エアコンにこたつ、暖房器具がこれでもかと用意され、使用された暖かな部屋。
目に飛び込んだテレビからは、今年も大雪の降り積もる街の景色がリアルタイムで映し出されているにも関わらず、俺はあの頃のように寒さに怯える必要はない。
奥の台所には金の三つ編みを揺らした椎名と一緒に何やら作業をしている長門、それからこたつの前には夢では灰髪の少年……今ではすっかりおっさんと化した二階堂徹がこちらに気づいてそれぞれ声をかける。
「仁さんだ! 明けましておめでとう!」
「……ああ」
「よお、ねぼすけ。おめでとさん」
「あんたまで来てたのかよ」
「おう。暇だったからな」
「医者なのにヒマって、どんだけー」
「うるせー」
いつもの軽快な掛け合いを聞き流しながらこたつの中に入る。机上には俺と椎名で昨日作った和食を基本とする様々なお節料理がずらりと並ぶ。
そこに椎名が盆を使って雑煮を持ってきた。この地方では醤油を使わないんだと言って、ある年椎名が張り切って作って以降気に入っている、白味噌の汁に野菜と丸い餅の入ったそれ。
「仁さんもおせちとお雑煮食べる? 起きたばっか……てか昨日お蕎麦食べたばっかだけど……」
「当たり前だろ馬鹿。誰が作ったと思ってんだ」
「そんなこと言って、本当は明日香のお雑煮が楽しみなんでしょ」
「うるさい」
「違うぞ長門、本当は嫁お手製のだし巻き卵だよなあ?」
「お前ら黙れ……」
ニヤニヤと笑う長門と二階堂。相変わらずの似た者同士め。椎名はと言えば何が面白いのかくすくすと笑っている。そんな笑顔も可愛いと思ってしまう時点で俺は色々負けているのだろう。畜生。
ひとしきりからかって満足したのか、長門と二階堂も、そして椎名もそれぞれ席に座り手を合わせ、「いただきます」と呟く。もちろん俺も。
「そんじゃ、食べますかー」
「食ったら家族んとこに挨拶行くんだろ?」
「うん! 多分皆お屋敷に集まってると思うから」
「伊代達によろしく言っといてちょ」
「はーい」
料理を突きながら交わされる三人の会話を横目に雑煮を啜り、作りたてのだし巻き卵を口に放り込みながら、俺は昨夜の夢を思い出す。寒さに震えてただひたすら飢えていたあの頃を。
──いつかお腹いっぱい食べたいねぇ。そばも、おせちも、おぞーにも……。
「おーい、どした?」
「まだ寝ぼけてんのか」
「仁さん? もしかして具合悪い?」
いつの間にかぼーっとしていたらしい。長門と二階堂が不思議そうに、椎名が不安そうに顔を覗き込む。
俺は言葉に詰まった。目の前に飛び込んできた、もう飢えることのない仲間達の顔に、そして隣で俺にぬくもりを与えてくれた恋人の表情に。
言おうか言うまいか悩みに悩んで……結局俺は言葉を口にする。
「料理……うまい、から……腹一杯食えよ」
案の定、というべきか、三人はきょとんと呆けた顔をした。……椎名はすぐ照れくさそうな笑顔に戻ったが。
「え、えへへ、ありがと。うん、そうする!」
「うわ、ジョージが優しい」
「今日は槍降ってくるな」
「うるせえ黙れいいから食え」
「はいはい」
湧き上がる気恥ずかしさを隠すように料理を口に運ぶ。畜生顔が熱い。
だが内心では、この満たされた温もりがいつまでも消えないことを、俺は願った。