灰色のあしあと_言の葉
灰色の虎と「言の葉」
― 僕は、いつの間にか眠ってしまっていた。
目を覚ますと、目の前にはココア色の湖が広がっている。辺りは、甘い匂いに包まれている。湖面には、夕焼け色の空が映り込んでいて、綺麗だ。
僕が寝そべっていた場所の反対側に、「ファウルらしきイキモノ」が美味しそうに目を細めながら、湖の中のココアを飲んでいる。
でも、何かがおかしい。
毛の色が違うのだ。
その「ファウルらしきイキモノ」の毛色は、僕と同じ灰色。
僕はその「灰色のイキモノ」が、ファウルなのか、それとも他のイキモノなのか確かめたくて、まだ上手く話せない言葉を音にして振り絞った。
「ねぇ!君は誰なの?」
『あれ?僕って、こんなに上手に音を言葉にすることができたっけ…?』
口にした音が言葉になったと同時に、そう思った。違和感を覚えて自分の前足で口元を引っ張ってみた。
『痛くない…?』
戸惑っている間に「灰色のイキモノ」は、足跡だけを残して居なくなっていた。足跡は夕焼けに照らされて、何色でもない色にキラキラと輝いている。
慌てて追いかけようと前足を伸ばすと、「カラン」と音が鳴った。
― 『カラン』 ―
僕は目を覚ました。
「灰色のイキモノ」に伸ばしたはずの、前足の近くには、ココアを飲み干した後のマグカップが転がっていた。
僕は、大きな口を開けて空気を吸い込み、それを全身に行き渡らせるように伸びをした。
『ファウルは…?』
不安になって探したが、ファウルはすぐ隣に居た。鼻からスピスピ音を出しながら眠っている。立派なひげが、それに合せてユラユラ揺れている。
ファウルも一緒に暖炉の前で眠ってしまったようだ。
洞窟の入口から差し込む光は、刺すように眩しい。昨日の雷雨で、空が澄みきっている証拠だ。
光が、ファウルのところまで近付いてきた。光に透かされたファウルの毛は、あの「ファウルらしきイキモノ」と同じ色をしているように見えた。よく確認しようと、僕が鼻先を近付けたところで、ファウルが身体を起こした。
「おはよう。ハイイロ。」
あの優しい夕焼け色の笑顔だ。僕もつられてふにゃりと笑った。
「…ぁあう!」
「おはよう!」という言葉を出すつもりだったが、やはり、上手くできなかった。僕の口から出る音は、まだ言葉として意味を持つことはない。リーンもラックも「言葉を話す」ことができている。
僕も、きっとできるはずだ。
『もっとみんなの真似をしないと…!』
へんてこな音じゃない、上手に言葉を話すことができれば、あの「灰色のイキモノ」を呼び戻すことができたかもしれない。
僕の中で「言葉を話す」という、キラキラした目標ができた。僕は「言葉」の研究を初めた。
まずはファウルを観察した。しかし、ファウルは時々あくびをするくらいで、必要がなければ話さない。たまに話す時は、僕を笑わせるための冗談ばかりで、あまり参考にはならなかった。
次は、よくふたりで話をしては笑い合っている、リーンとラックだ。
リーンは絵と言葉の描かれた本ばかり読んでいて相手をしてもらえない。ラックは動きが早くて追いつけないし、やっとの思いで辿り着いても、僕の自慢のひげを引っ張ってくる。
ふたりでは話をするのに、僕が参加しようとすると、上手く話せない僕をからかって笑ったりする。「言葉の観察」どころではない。
僕は困った時、洞窟の隅っこの棚の下に隠れることがあった。僕がすっぽりと納まるサイズのその場所は、チームのみんなからは丸見えだったが、僕の立派な秘密基地だった。そこで考え事をしたり、頭の中の辞書を読み返すこともあった。
たまに僕が、こっそりおやつを持ち込んで食べているのは、きっとみんな気が付いていないはずだ。
ふと、辞書の中の落書きが目に留まった。「白うさぎ」だ。
いつも一緒にいてくれて、上手に言葉を話す白うさぎ。これほど「言葉の観察」に適したイキモノは他にいない。
僕は、落書きの白うさぎに口を描いて、その横にぐるぐると言葉にならない音みたいな渦巻を描いた。
リーンとラックの笑い声は、いつも洞窟の中に響いていた。
僕は、ファウルに白うさぎ、リーンにラック、そして僕が居るこのチームが大好きだった。この洞窟の中に満ちている温かな空気と、洞窟の周りに咲いている色とりどりの花や豊かな自然を愛していた。
『いつまでもこの穏やかな空気の中に居たい』
そう、想わせてくれるこの居場所は、薄い夕焼け色をしたふわふわの毛布みたいに、僕の身体を温かく包んでくれた。
僕は頭の中で、その温かなふわふわにもぐりこんだ。
これからの「言葉の観察」に弾んだ心を落ち着かせるように、ゴロゴロと転がりながら、辞書をぎゅうっと抱きしめた。