良いことをしても結局忘れられる
普段は会社員として働きながら運動が苦手な子どもにバドミントンを教えたりしています。
聖人君子を気取る気は一ミリもないのですが、20代の時からボランティアをやったり悩み相談みたいなことをしたりしてきました。自分が紹介したサークルに入って嫁さんや一生物の友達を作った友人もいたし、東京で会ったこともない無名の新人候補の選挙の手伝いをしたこともありました。
そんな事をいろいろとやってきたけど正直自分になにか返ってきたことがないです。自分がわかってないだけかもですが。
困った時に助けてくれそうな人もいなければ、なんならそんな事もあったなぐらいにしか思ってない人も沢山いると思ってます。
これが悪いことだとは全く思ってないです。なぜなら自分も全く同じ穴のムジナだと思ってるので。よくよく考えてみたら自分がお世話になっている人になにかしたとか特になかったりするので。
今まで生きてきた中で結構な数の人にお世話になってきたと思うけど、それを全て覚えてるかといわれたら間違いなく覚えてないと言い切れます。幼稚園や小学校の先生なんて顔すら覚えてないので。
幼稚園教諭の資格を取るための実習で散々遊んだ子どもと後日プライベートで会ったときに完璧に忘れられていたということもあります。
結局のところ人になにかするというのは自己満足であり、月日が流れたら記憶に残る事なんてないと思った方がいいのかなと。
ボランティアで師と仰いでいた先輩から言われた言葉で、『自分達が関わった少年達に月日が流れた時に、こんな人がいたなぐらいで覚えてくれてもらっていればそれでいいと思う』と言われた事が今になるとこういう事かと。言われた時は意味を理解できてなかったけど、最近やっとその言葉の意味を理解できるようになりました。個人的には立川の選挙の時の人達は流石に覚えていて欲しいと思ってますが。(笑)あれを忘れられたら流石に泣きます。
受けた恩を本人ではなく、他の人に返すといういわゆる『ペイフォワード』という考えがあるけど個人的にはそれをボチボチやっていけたらなと思ってます。それがどう連鎖していくかというのはわからないけど、どう転がるかを見るのも含めてたのしんでやれたらと。ほんの少しでもいいのでその人の記憶に自分の存在があればそれでいいという気楽な気持ちでボチボチやっていけたらと思ってます。