AIに関する奇想天外#序
始まりは一つの講演を見たところから。2023年3月9日に公開された「The AI Dilemma」、YouTubeに日本語字幕付きで見られる。Spotifyにも聞けるので、これはぜひおすすめ。
動画を見る理由はAIの話で目に入ったよりは、無心に動画を流したら紹介役にSteve Wozniak(Appleの共同設立者)がいることで、見る興味がいかぶん増した。すでに情報が氾濫している21世紀はそう、こんなミーハー的な理由で時間の使い方を決める。
結論から申し上げると、新しい技術の生まれには、新しいルール整備する必要性があり、予見できないリスクがあることだ。そんな早く一般な人々の日常生活にまだ把握できないAIを浸透させるべきではないと、いう趣旨の講演だが。前半はいまどんな早いスピードで、話題のGPT-4実際どんなことができるかを説明した。
大規模言語モデルの説明にあたり、いますでに目に見えるテキスト利用は例えばもっとも基本の言語からの学習して答えを生成するものと、画像は自然言語ではないものの、データから出せるところで、一種コーディングされた言語であり、音も、電磁波も……と広く見ると、我々が認識している世界のすべてが言語化できる可能性がある。
fMRIも言語モデルの餌一種にはなれ、分析を図っていつか夢解読できるかもしれないと動画にも触れられ、嗚呼、脳の解読!調べてみたがまだまだその解読レベルではないが、どこか一線可能性が見えている。
倫理的に遠慮するが、フランケンシュタインを生まれる技術の鍵は人類が既に握っている気がする。
こんな変革的な、技術の爆発だという時代を迎えそうでワクワクが止まらない。なにせ高等数学も学んだことなく、技術には無縁の人間が、この激動なタイミングにもともに科学の鼓動を感じたい。その方法はおそらく、夢を見るだけだ!
研究対象として分析されるために夢を見るではなく、どこかのおじさんが言ったように「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」、想像の翼を羽ばたかせるのだ。
ちっぽけな、すでに実現されてるなにか。遠く遠くそれでも50年100年の未来に実現できそうな何か。2023年、美女画像描きと論文宿題を書いてくれるGPTより、もう少し先踏んだ使い方を、妄想したい。